2009年01月28日 (水)
おはようございます。
カナダ・イヌイットのルーツを、1月16日のブログで、カナダ・イヌイットの食生活の変遷(主食の変化)を1月20日のブログで、概説しました。今回は、カナダ・イヌイット社会の歴史的変化をみてみましょう。
<社会の変化>
イヌイットといえば誰でもイメージするような、アザラシ猟をして雪の家に住むという文化は、15世紀頃に形成されました。
その後、ホッキョクイワナ、アザラシ、シロイルカ、カリブーといった食材がイヌイットの主食となっていきました。
1900年代初頭までは、散発的にヨーロッパからのタラ漁民、捕鯨者、探検家などとの接触はありましたが、この伝統的食生活・生活様式が保たれていました。
冬季と夏季では、動物資源の分布や自然環境に応じて、周期的にキャンプ地を変えて生活していました。
1910年代にハドソン湾会社などの交易会社がカナダの東部極北地帯へと進出し交易所をつくり始めました。
これで欧米人との交易が本格的に始まり、1920年代から1940年代まで、ホッキョクギツネの毛皮交易が、イヌイットの主たる収入源となりました。
しかし、第二次世界大戦のため欧米の高級毛皮市場が崩壊して、大戦終了後も、毛皮市場は停滞しました。
1940年代は、ホッキョクギツネの毛皮の暴落と結核の蔓延のため、イヌイットの生活は最悪の状態にありました。結核、梅毒、麻疹などの伝染病で総人口の1/3が命を落とし、人口減少が続きました。
1939年以降、カナダ.イヌイットはカナダ政府の管轄におかれ、法律上は「インディアン」と見なされるようになりました。
1950年代半ば以降に、北ケベックのイヌイットは、急速な社会変動を経験しました。
すなわち、カナダ政府による極北官僚制行政時代です。
①定住化、学校教育、福祉・医療サービス
②狩猟を中心とする生業経済から賃金労働を中心とする混交経済への移行
③船外機付きの小型ボート、スノーモービル、高性能ライフルの導入
④交通・通信網の発達
このカナダ政府による政策により、イヌイットの生活様式は、急速に都市化・欧米化していきました。
1970年頃までには、ほとんど全てのイヌイットが村の中で定住するようになりました。
アルコール、タバコ、麻薬はかつてイヌイット社会に無かったものですが、急速に浸透していき、人々を苦しめ大きな影を落とすこととなりました。
1961年にノルウェーでアザラシの皮をなめす技術が開発されて、高級毛皮コートの材料としてイヌイットの新たな交易品となりました。このアザラシの毛皮の交易は、20年間以上イヌイットの主たる収入源となっていました。
しかし、毛皮獣の捕殺に反対する欧米の動物愛護団体の圧力で、1983年ヨーロッパ共同体(EC)が全面的に毛皮の輸入を禁止し、イヌイットの経済は大きな打撃を受けました。
朝日新聞時代の本多勝一氏が、1960年代初頭に現地でイヌイットと共に生活し取材し名著「カナダ・エスキモー」を刊行しています。
この本に書いてあるような、季節的に移動生活を行い、冬季には雪の家に住むような生活は、今ではもうみられません。
1980年代からは定住化のもと、灯油によるセントラル・ヒーティング、村の発電所からの電気、電気冷蔵庫、電気ストーブ、電気オーブン、水洗トイレ・・・が徐々に普及していきます。
冬期には全てが凍結するので下水道、水道はなく、週に1~2回の給水車、汚水や屎尿は各戸のタンクに溜められ、週に1回くみ取り車がきて処理します。
従って、現在のカナダ・イヌイットの家は、電話・テレビなど含め、定期的にシャワーを浴び、衣類も洗濯するので、毛皮の匂いや独特の生活臭などもありません。家をみただけでは、イヌイットの家か白人の家か区別はつきません。
参考文献
①岸上伸啓:イヌイット.中公新書.2005
②岸上伸啓:極北の民カナダ・イヌイット.弘文堂.1998
江部康二
カナダ・イヌイットのルーツを、1月16日のブログで、カナダ・イヌイットの食生活の変遷(主食の変化)を1月20日のブログで、概説しました。今回は、カナダ・イヌイット社会の歴史的変化をみてみましょう。
<社会の変化>
イヌイットといえば誰でもイメージするような、アザラシ猟をして雪の家に住むという文化は、15世紀頃に形成されました。
その後、ホッキョクイワナ、アザラシ、シロイルカ、カリブーといった食材がイヌイットの主食となっていきました。
1900年代初頭までは、散発的にヨーロッパからのタラ漁民、捕鯨者、探検家などとの接触はありましたが、この伝統的食生活・生活様式が保たれていました。
冬季と夏季では、動物資源の分布や自然環境に応じて、周期的にキャンプ地を変えて生活していました。
1910年代にハドソン湾会社などの交易会社がカナダの東部極北地帯へと進出し交易所をつくり始めました。
これで欧米人との交易が本格的に始まり、1920年代から1940年代まで、ホッキョクギツネの毛皮交易が、イヌイットの主たる収入源となりました。
しかし、第二次世界大戦のため欧米の高級毛皮市場が崩壊して、大戦終了後も、毛皮市場は停滞しました。
1940年代は、ホッキョクギツネの毛皮の暴落と結核の蔓延のため、イヌイットの生活は最悪の状態にありました。結核、梅毒、麻疹などの伝染病で総人口の1/3が命を落とし、人口減少が続きました。
1939年以降、カナダ.イヌイットはカナダ政府の管轄におかれ、法律上は「インディアン」と見なされるようになりました。
1950年代半ば以降に、北ケベックのイヌイットは、急速な社会変動を経験しました。
すなわち、カナダ政府による極北官僚制行政時代です。
①定住化、学校教育、福祉・医療サービス
②狩猟を中心とする生業経済から賃金労働を中心とする混交経済への移行
③船外機付きの小型ボート、スノーモービル、高性能ライフルの導入
④交通・通信網の発達
このカナダ政府による政策により、イヌイットの生活様式は、急速に都市化・欧米化していきました。
1970年頃までには、ほとんど全てのイヌイットが村の中で定住するようになりました。
アルコール、タバコ、麻薬はかつてイヌイット社会に無かったものですが、急速に浸透していき、人々を苦しめ大きな影を落とすこととなりました。
1961年にノルウェーでアザラシの皮をなめす技術が開発されて、高級毛皮コートの材料としてイヌイットの新たな交易品となりました。このアザラシの毛皮の交易は、20年間以上イヌイットの主たる収入源となっていました。
しかし、毛皮獣の捕殺に反対する欧米の動物愛護団体の圧力で、1983年ヨーロッパ共同体(EC)が全面的に毛皮の輸入を禁止し、イヌイットの経済は大きな打撃を受けました。
朝日新聞時代の本多勝一氏が、1960年代初頭に現地でイヌイットと共に生活し取材し名著「カナダ・エスキモー」を刊行しています。
この本に書いてあるような、季節的に移動生活を行い、冬季には雪の家に住むような生活は、今ではもうみられません。
1980年代からは定住化のもと、灯油によるセントラル・ヒーティング、村の発電所からの電気、電気冷蔵庫、電気ストーブ、電気オーブン、水洗トイレ・・・が徐々に普及していきます。
冬期には全てが凍結するので下水道、水道はなく、週に1~2回の給水車、汚水や屎尿は各戸のタンクに溜められ、週に1回くみ取り車がきて処理します。
従って、現在のカナダ・イヌイットの家は、電話・テレビなど含め、定期的にシャワーを浴び、衣類も洗濯するので、毛皮の匂いや独特の生活臭などもありません。家をみただけでは、イヌイットの家か白人の家か区別はつきません。
参考文献
①岸上伸啓:イヌイット.中公新書.2005
②岸上伸啓:極北の民カナダ・イヌイット.弘文堂.1998
江部康二
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