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日本人の食生活、縄文時代と再再考察。
こんばんは。
田村 亨 さんから、縄文時代の食生活に関して
信頼度の高い論文情報をコメントして頂きました。
ありがとうございます。
それで今回は、日本人の食生活の歴史の再再考察です。

旧石器時代は、本ブログの考察で問題ないと思われます。
弥生時代
「水稲栽培が導入されたとしても実態としては縄文時代的生業世界に稲作が付加されたにすぎない地域」
もあったようです。
ともあれ、稲作が加わることで、寿命が延びているので、
弥生時代の食糧事情は良くなったと、考えられます。
縄文時代に関して再再考察です。


16000年前から『縄文時代』で、狩猟・採集・漁労の3本柱が生業です。
狩猟:ニホンシカ、イノシシ、ウサギ、
採集:クリ・クルミ・ドングリ・トチの実、
漁労:魚介類

などを食べていました。
文献をみると縄文クッキーなど、
未精製植物澱粉を主に、糖質50~60%を摂取していた地域もあり、
縄文人は、私の思っていたより、多くの糖質を摂取していました。
縄文時代は、約13000年くらい続きました。


そして2002年に東京大学の米田穣氏によって、
「縄文人は地域ごとに食生活違う」ことが示されました。
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=2009&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=21
以下、米田氏の論文の超要約(青字の記載)です。

【縄文時代の入骨群では,非常に強く海産物に依存した北黄金遺跡群から,
C3植物を中心とする生態系に適応した北村遺跡群まで
幅広いバリエーションが認められる。

貝塚遺跡を形成した集団でも東北地方の里浜貝塚群と,
関東地方の向台貝塚群上高津貝塚群では海産物の重要性に違いがあったようである。

内陸に立地した遺跡に目を転じると,
縄文時代草創期から早期に属する大谷寺洞穴遺跡群では
非常に幅広い集団内変異が見られ,他の集団とは様相を異にする。
個体によってはかなりの量の海産物を摂取していた可能性が示唆される。

長野県に立地する北村遺跡群栃原岩陰遺跡群では,
ともにほとんどのタンパク質がC3植物と
C3植物を摂取した動物に依存していたと考えられる。

さらに,琵琶湖湖底に立地する粟津貝塚遺跡では
長野県の2つの集団よりも明らかに栄養段階の高い食物を利用していたと考えられる。
立地条件から淡水生の魚貝類が重要なタンパク質源であったと推定される。】



縄文時代は、地域により、海産物に非常に強く依存した北黄金遺跡群
C3植物を中心とする生態系に適応した長野県安曇野市北村遺跡群まで、
幅広いバリエーションが認められました。

北黄金遺跡群(キタコガネ遺跡群)は、北海道南西部、内浦湾東岸の伊達市に所在し、
標高10~20メートルの丘陵上に立地します。
海産物が豊富な立地です。

北村遺跡群C3植物(☆)はドングリやクリでした。
そしてドングリやクリを食べていた小動物も北村遺跡群の縄文人は食べていました。

宇都宮市の大谷寺洞穴遺跡群では
シカ・イノシシ・イヌ・タヌキ・ムササビの獣骨や淡水産のイシガイ・カワニナ、
海水産のシオフキ・ハマグリ・ハイガイの貝殻など食料の残り滓かすなど
多様なものが発見されています。

琵琶湖湖底に立地する粟津貝塚遺跡 では
琵琶湖の淡水魚やシジミの貝殻などが出土しています。
また哺乳類の骨(イノシシ、シカなど)、爬虫類の骨(スッポンなど)、
魚類の骨(ギギ、コイ、ナマズ、フナ、ワタカなど)などのように貝殻以外の物も出土しています。
さらにトチの実やドングリ(イチイシイの実)の皮やヒシなど
植物性の物も出土しています。

平成27年度(2015年度) かながわの遺跡展 
第1回 特別講演 明治大学 阿部芳郎氏
縄文の資源利用 ~その多様性と展開~  平成28年1月9日(土)

によれば、縄文時代の食性は多様であるが、主食としては
「ドングリ、クリ、果実類など、」としています。

海産物や水産物が非常に豊富な地域はともかくとして
多くの内陸性の地域では、クリ・クルミ・ドングリ・トチの実が
主食
であったと考えられます。


江部康二


(☆)
C3植物
:クロレラなどの藻類、ドングリ、イネ・コムギ・ダイズや、樹木。
コメント
質問ですがよろしくお願いします。
「暁現象」についての記事を読んでいて、先生も「早朝空腹時血糖値も、90~100~110~120~130mgくらいで・・・ちょっとしたことで変動します」と書かれてあり、私も同じなので、ある意味安心しました。

先生が説明されているように、身体の血糖調節は非常に複雑なようですね。私も基礎分泌インシュリンが不足しているようで、血糖値がかなり不安定です。
それで、いささか混乱するのですが、薬を色々試してみて、就寝前にスーグラを飲むと早朝血糖値が100 mg未満になる確率が高いように思えます。

薬を飲まないで早朝血糖値が130mg以下程度なら、薬は飲む必要はないでしょうか。それとも薬を飲めば100mg未満になるなら、薬を飲んだほうがよいのでしょうか。
2022/09/25(Sun) 05:52 | URL | 倉田 | 【編集
縄文人の寿命の地域差は?
「縄文人は地域ごとに食生活違う」との事ですが、では地域ごとの寿命はどのように異なるのかについての研究はないのでしょうか。
地域ごとの食生活と寿命について、昭和初期の研究ではありますが、近藤正二博士の著書「日本の長寿村・短命村」によれば食生活により寿命は大幅に違いがある事が示されています。縄文人においても同様ではないかと推察されます。
2022/09/25(Sun) 09:07 | URL | 西村 典彦 | 【編集
Re: 質問ですがよろしくお願いします。
倉田 さん

本人の考え方によりますが、
私は薬は基本飲みたくないので、
空腹時血糖値が90~100~110~120~130mgくらいでも、許容しています。

倉田さんは
「就寝前にスーグラを飲むと早朝血糖値が100 mg未満になる確率が高い」
ということであれば、それで良いと思います。
近年、SGLT2阻害薬には、<心・腎・脳保護作用>があるとされているのでそれもメリットですね。
2022/09/25(Sun) 10:12 | URL | ドクター江部 | 【編集
Re: 縄文人の寿命の地域差は?
西村 典彦  さん

近藤正二博士の著書「日本の長寿村・短命村」によれば
白米を多く食べる村が短命村と記載されてますね。

個別地域の縄文人の寿命という研究は私は知りません。
トータルには以下の記事のように、「縄文人は意外に長生き」だったようです。

縄文人、意外と長生き。65歳以上が3割。
2016年10月28日 (金)
http://koujiebe.blog95.fc2.com/blog-entry-3989.html
2022/09/25(Sun) 10:20 | URL | ドクター江部 | 【編集
江部先生、コメント失礼いたします。

人類が誕生して、つまり二足歩行をして、
700万年が経っていますよね。

この700万年の間、人類がスーパー糖質制限をしていた時期はいつからいつだったのでしょうか?

ご存知であるならば、時系列でブログ上でご記入をお願いいたします。

いずれにしても、700万年の間中ずっとスーパー糖質制限ではなかったのですね?

縄文時代で50%から60%の糖質をとっていたのであるならば、現在と同じように、当然糖尿病も発症していましたよね?糖質をそんなに多く摂取していたと言う事実は確定しているのでしょうか?にわかには信じることができません。間違いのないエビデンスなのでしょうか?

毎日の食事量で、どんぐりやとちの実などの木の実がそんなにたくさん食べることができたのでしょうか?糖質摂取量が50%から60%になると言う事は、毎日毎日ザルほど木の実を食べないとまかなえないですよね。

これから糖質セイゲニストが生きていく上で大変重要な考察であると思っております。

安易に妥協はできないと思います。

2022/09/25(Sun) 17:06 | URL | ジェームズ中野 | 【編集
人間は意外と順応性が高いのでは?
よく、人類の食生活の歴史から理想の食事が論じられますが、
私は、人間の体は意外と変化に対する順応性が高いと思っています
縄文時代は自動車もパソコンも加工食品もありませんでした。
それでも人間は短期間でそれに順応していますから。
2022/09/25(Sun) 17:07 | URL | 山岡慎二 | 【編集
近藤正二博士の著書「日本の長寿村・短命村」
あの本、正確です><

「短命村ポツ」打たれた両親出身村、極めて短命です。
私らこ も、「江部本+江部ブログ」読まなかったら、49才くらいで死んでました、多分。

62才の今日まで、「健康に生存」できたのは、江部先生のおかげさまです。本当にありがとうございます。
2022/09/25(Sun) 21:02 | URL | らこ | 【編集
Re: タイトルなし
ジェームズ中野 さん

以下はイスラエル大学の研究です。

https://nazology.net/archives/86461

人類は約200万年の間、地球の頂点捕食者として、肉食に進化していたことが判明しました。

イスラエル・テルアビブ大学の最新研究によると、その200万年間に過剰狩猟でメガファウナ(大型動物)が減少し、石器時代の終わりにかけて動物の食料源が衰退。

そのため、1万年前頃から植物性の栄養源を取り入れて、次第に雑食化していったとのこと。

初期人類は、最初から雑食ではなかったようです。



『縄文時代で50%から60%の糖質をとっていたのであるならば、
現在と同じように、当然糖尿病も発症していましたよね?』


運動量が違うので糖尿病は発症しないと思います。
明治時代の人は、糖質摂取比率が70~80%ありましたが、糖尿病発症はまれでした。


平成27年度(2015年度) かながわの遺跡展 
第1回 特別講演 明治大学 阿部芳郎氏
縄文の資源利用 ~その多様性と展開~  平成28年1月9日(土)
によれば、縄文時代の食性は多様であるが、主食としては
「ドングリ、クリ、果実類など、」としています。

海産物や水産物が非常に豊富な地域はともかくとして
多くの内陸性の地域では、クリ・クルミ・ドングリ・トチの実が
主食であったと考えられます。

2022/09/26(Mon) 14:52 | URL | ドクター江部 | 【編集
Re: 人間は意外と順応性が高いのでは?
山岡慎二 さん

仰る通りと思います。
日本の歴史だけでみても
『旧石器時代』『縄文時代』『弥生時代』
とどんどん順応しています。
2022/09/26(Mon) 14:54 | URL | ドクター江部 | 【編集
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