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日本人の食生活、旧石器時代、縄文時代、弥生時代。
こんにちは。
今回は、日本人の食生活の歴史の再考察です。
いろいろ調べ直してみると、今までの自分の常識がかなり、覆りました。
ちょっと、びっくりしています。

日本列島に、ヒトが住み始めたのが約38000年前の『旧石器時代』です。
この頃は、マンモス、ナウマン象、ニホンシカ、イノシシ、ウサギ・・・
などを狩猟してとり、肉食が主でした。
糖質摂取比率は10%以下でしょう。
スーパー糖質制限食は、
約22000年間続いた、旧石器時代の食生活と同様のPFCの摂取比率です。
以前、スーパー糖質制限食を「縄文食」と言っていたことがありますが、
冷静に考えると「旧石器時代食」ですね。
当時の日本列島は大部分が亜寒帯性の針葉樹林が広がっていて、とても寒くて、
植物性の食品は乏しく漁撈も未発達なため、
大型哺乳類を主とした狩猟に依存した生活でした。
植物性食品は、自然薯とコケモモくらいしかありませんでした。

16000年前から『縄文時代』で、狩猟・採集・漁労の3本柱が生業です。
狩猟:ニホンシカ、イノシシ、ウサギ、
採集:クリ・クルミ・ドングリ・トチの実、
漁労:魚介類

などを食べていました。
文献をみると縄文クッキーなど、
未精製植物澱粉を主に、糖質50~60%を摂取していた地域もあったようですが、
北海道の漁村のように、魚介類が中心で糖質の摂取が少ない値域もありました。
縄文時代の食生活は地域によって様々であり、画一的に論じることはできないということです。

縄文時代は、約13000年くらい続きました。

約2500年前から、『弥生時代』で、農耕が始まりました。
穀物(米、粟、きび、ひえなど)が主食となり、現代に到ります。


日本列島のヒトは、旧石器時代の約22000年間は、
肉食中心で、糖質はほとんど摂取していません。

これは論争の余地のない歴史的事実です。

それが、縄文時代以降は、大きな変化が訪れます。
狩猟・採集・漁労の三つが生業となりました。
縄文時代は、日本の各地域により食生活は異なっていました。
例えば北海道の海沿いの村では、海産物中心の食生活で、糖質は少なかったです。
信州では、ドングリやクリが中心となっていて、糖質はかなり多かったです。

つまり、
22000年間は総摂取エネルギーに占める割合は、
糖質はせいぜい10%i以下くらいであったのが、
縄文時代・弥生時代以降は、
総摂取エネルギーの30~50~60%糖質を摂取するようになったのです。

スーパー糖質制限食「極端な食事」と批判する人がいますが、
「日本史上、一番長期であった旧石器時代の食事と同等のPFC比率が糖質制限食」
なのです。
つまり、スーパー糖質制限食は、日本人の標準の食事と言えるのです。

なお、化石の虫歯率をみると
旧石器時代:ゼロ・・・肉食
縄文時代:8%・・・ドングリなどの糖質摂取
弥生時代:16%・・・米など穀物の糖質摂取

で、糖質・穀物摂取の弊害が明確に現れています。

日本人の消化・吸収、生理・代謝・栄養システムは、
旧石器時代に、約22000年かけて、肉食中心の食生活を実践しながら
突然変異を繰り返して完成された
ものです。


結論です。

日本列島の人類は、約22000年間

「総摂取エネルギーにおける糖質の比率、ほぼ10%」以下

の食生活をしてきました。

その後、縄文時代は、日本各地で様々な食生活が営まれました。
しかし、弥生時代以降は、

「総摂取エネルギーにおける糖質の比率50~60%」

という、糖質過剰の食生活になってしまったのです。
弥生時代以降は農耕が開始されて、穀物摂取の弊害として虫歯が倍増しています。


江部康二
コメント
おはようございます。
以前に、縄文時代における食生活を調べたことがあるので、添付します。

1998年に、中野益男氏によって、残存脂肪酸分析による「縄文人は高炭水化物食」という発表がなされた。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jln1992/7/1/7_1_23/_pdf
しかし、その後この発表は科学的に不確かということで、山口昌美氏により「科学的に」否定されたようだ。
http://www.komakino.jp/yamaguti-ronbun/yamaguti-ronbun.html

そして、2002年に東京大学の米田穣氏によって、「縄文人は地域ごとに食生活違う」ことが示された。
https://minpaku.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=2009&item_no=1&attribute_id=18&file_no=1&page_id=13&block_id=21
炭素と窒素の安定同位体を用いた計測方法で、なかなか信頼度は高いようだ。
『非常に強く海産物に依存した北黄金遺跡群から,C3植物を中心とする生態系に適応した北村遺跡群まで幅広いバリエーションが認められる。』
『長野県に立地する北村遺跡群と栃原岩陰遺跡群では,ともにほとんどのタンパク質がC3植物とC3植物を摂取した動物に依存していたと考えられる。』
C3植物とはイネのことであり、縄文時代からある程度はイネを食べていたことになる。
したがって、今のところは
・縄文時代は地域によって食生活が違う
・動物性の食物に頼っていたところと、あまり頼っていなかったところがありそう。
ということで、「縄文時代は肉食である」ということは、まだ否定も肯定もできない。
2022/09/24(Sat) 09:15 | URL | 田村 亨 | 【編集
Re: タイトルなし
田村 亨 さん

コメントありがとうございます。
ご指摘通り、

・縄文時代は地域によって食生活が違う
・動物性の食物に頼っていたところと、あまり頼っていなかったところがありそう。


だと思います。
とても参考になります。
信頼度の高い論文をご教示頂き、大変助かります。
2022/09/24(Sat) 12:53 | URL | ドクター江部 | 【編集
当方糖質制限者です。

縄文時代13000年で食事の糖質比率50〜60%とありますが、13000年も続けば、糖質に免疫/耐性が付くのでは??と疑問に思いました。
2022/09/24(Sat) 18:36 | URL | 名無し | 【編集
Re: タイトルなし
名無し さん

糖質比率50〜60%の地域もありますが、
海沿いや琵琶湖周辺などでは、魚介類を多く摂取しています。

縄文時代は、地域により多様な食生活となっています。

旧石器時代の22000年をかけて、主要な消化・吸収・生理・代謝システムが完成されたと思います。
縄文時代となって、糖質比率50〜60%の地域では、それをベースに、デンプン分解酵素(アミラーゼ)などが
作られるようになっていったかと思われます。
2022/09/25(Sun) 10:07 | URL | ドクター江部 | 【編集
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