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糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで④
 コカコーラの大瓶を水がわりに毎日ガブガブ飲んだり、お金が無いとインスタント・ラーメンだけで一週間過ごしたり、趣味的に朝・昼・晩と全てお湯を注ぐだけの<カップ-焼きそば・焼き飯・ラーメン >で一日過ごして気分が悪くなったり、サントリーレッドの大瓶や料理用の一升瓶のワインで反吐をはいたりで、なかなかにえぐい食生活をおくってました。当然鼻炎はもはや生活の一部といった存在になってました。

 全国的な全共闘運動の盛り上がりの中で京大でもストライキ が相次ぎ、結局医学部の6年間で授業は半分くらいしかなかったでしょうか。兄も私も全共闘運動に参加し、京大医学部の建物内に立て籠もってストライキもしました。さまざまのほろ苦い思い出と共に、正規の授業では学び得なかっただろう大切なものを得たという思いもあります。

 なお私事で恐縮ですが1972年(S47年)に学生結婚をしてます。食生活は少しはましになったような気もしますけど・・・。

<医師に>
 ともあれ1974年(S49年)大学を卒業し、医師となり京都大学胸部疾患研究所で研修を始めました。胸部疾患ですから、肺癌・肺線維症・気管支拡張症・気管支喘息・肺気腫・.肺結核・肺炎・気胸などが主な病気でした。この中には根治療法の可能なもの、対症療法が主となるもの、 基本的に治療法のないものなどさまざまの病気があります。これらのことを踏まえ、5年間の臨床経験を通じて自分なりに西洋医学の素晴らしさ・長所も納得していきましたが、一方で限界も見えてきました。

 当時<針麻酔>が話題となっていた頃であり、又日中国交回復といった時代の流れもあり世間の漢方に対する評価も徐々に高まりつつあったと想います。こういった中で、私の兄は既に数年間独学で漢方を勉強しており、その影響もうけて、私もついに漢方に首をつっこむ事となったわけです。
テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
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