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糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで③
 余談ですが私はもともと偏食で特に野菜が大嫌いだったのです。食べれるのはタクアンくらいでキャベツは千切りされたものを一本、二本・・・、キュウリはスライスされたものを一枚、二枚・・・といった世界でした。母はコロッケの中にいろんな野菜をいれるなどして何とか私が食べるよう工夫してくれてました。

 偏食はかなりの筋金入りで、牛田小学校の給食を一切食べずハンガ-ストライキを続けたので、とうとう小学校側が根負けして、卒業までの3年間昼食はずっと家に食べに帰ってました。除去食??を小学校に認めさせた日本の第一号は実は私だったのではないでしょうか?

 中学生になり、1年生だったか2年生だったか、とうとうアレルギー性鼻炎が始まりました。洋風の食生活になって約3年が経過していました。今思えば洋風の中でも精製された炭水化物(パン、ケーキ、お菓子、チョコレート・・・)の過剰摂取でした。以後苦節30数年、私の人生はアレルギー性鼻炎との二人三脚でした。 中学.高校とその内に、鼻炎はあって当り前となり、毎朝大量のティッシュペーパー のお世話になってました。<(鼻)水もしたたるいい男>とは僕のためにある言葉かなどと馬鹿なことを思ってました。中学・高校は修道という儒教系の学校で、ルーツは旧広島藩の藩校だったそうです。

<京都時代>
 1968年(S43年)京大医学部に入学して左京区の高野で下宿生活を始めてからは現金なもので生きていくために、それこそあっというまに野菜でもなんでも食べることができるようになりました。
 近くにホルモン屋があったのでよく食べに行きましたが友人や兄との生存競争に打ち勝つべく鍛えられて少々生焼けの肉でも食べることができるようになりました。

 家賃が安くて下宿したのでかなり場末の店ではあったのですが、ある日兄と二人で食事に行ったとき店の親爺が機嫌が良くてサービスにレバーをくれました。ラッキーと喜んで焼き始めたら何やら細長い物体がニョキッと粘膜を突き破って出てきたのにはビックリしました。只ほど高い物はない・・・親爺がくれたレバーには寄生虫(おそらくイヌ蛔虫?)が機嫌良く住んでいたのが熱さに耐えかねて登場したのでしょう。折角もらったものを無碍に捨てるわけにもいかず二人でフリーズしてしまいました。丁度そのとき、とことこと太郎がやって来ました。冷や汗をかきながらこんがりと焼き上げて太郎(店で飼っていた犬です)に分け与えて事なきを得ました。持つべきものは(イヌの)友ですね。
テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
コメント
この先レバーを食すのは見合わせます。
2007/03/06(Tue) 12:26 | URL |  | 【編集
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