2013年12月01日 (日)
こんにちは。
2013年10月29日(火)毎日新聞朝刊の、「火論」を読みました。
玉木研二氏の書いた記事で大変、興味深いものでした。
以下は「火論」の要約です。
『東京・岩波ホールでの劇映画「ハンナ・アーレント」の上映初日、風雨にもかかわらず、1回目から満員だった。
ナチ戦犯アイヒマンを裁く法廷シーンでは、実録フィルムでアイヒマン本人が登場し、この効果が大きい。アイヒマンはユダヤ人を貨物や家畜のように扱い、死地へ追いやる強制収容所移送を指揮した元親衛隊幹部である。敗戦後に逃亡して、変名でアルゼンチンで暮らしているところをイスラエル情報部が急襲、1960年5月11日、逮捕した。
エルサレムの法廷でこの初老の男は時にいらだちをのぞかせ繰り返し弁解した。「私は命令に従ったまでです」「それが命令でした」「すべて命令次第です」「事務的に処理したのです」「私は一端を担ったにすぎません」「さまざまな部署が担当しました」・・・。亡命ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、そこに「平凡な人間が行う悪」を見いだす。人間的な思考を放棄したものが空前の残虐な行為をなすおぞましさ。
アイヒマンは学業不振などで学校は続かず、20代で親衛隊に入隊した。やがてユダヤ人移送担当となり、実績を上げて評価される。思考の力を失い、機械的に命令や職務権限を果たしていく凡庸な軍人、官僚。それがホロコースト(大虐殺)を遂行可能にする動力ともなる。彼にとって犠牲者数は統計上の数字にすぎない。
映画はアーレントの洞察(アイヒマンを極悪人とみなすのではなく、極普通の小心者で取るに足らない役人に過ぎなかったとする見解)に対する社会の非難と、それに屈しない彼女の毅然とした姿を描き、心を打つ。
そして、アイヒマンの機械のように冷たい、どこかぼんやりしているような風情も不気味に残る。彼は極めて特異な例外的存在なのだろうか。今日も世界に絶えない大規模な破壊行為だけでなく、社会の組織的な大きな過ちや錯誤にもその小さな影を見ないだろうか。61年12月15日死刑判決。「この日エルサレムは雨と風がひどかったにもかかわらず、傍聴人席は超満員だった」と外電は伝えている。』
ごく普通の小心者の小役人のアイヒマンらが、上の命令に従って思考放棄して、結果としてホロコーストの動力となってしまったわけです。
この時自分の頭で考えることができる人が何%かいれば、ホロコーストは阻止できたのでしょうか?
このような話だと、杉原 千畝(すぎはら ちうね)氏を思い起こします。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原氏は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られています。(ウィキペディアを参照しました)
杉原千畝氏の場合、たった一人の人間が、自分の頭で考えて判断して、外務省の命令を無視して、大量のビザを発給して、6000人のユダヤ人の命を救ったのです。
さて、「火論」の玉木研二氏も
「社会の組織的な大きな過ちや錯誤にもその小さな影を見ないだろうか。」
と指摘しているように、ごく普通の人達が、思考放棄して、社会や会社や地域の支配的な勢力に従ってしまうことで、結果として過ちや錯誤を犯してしまう。
日本でも世界でもそのような構造があると思います。
例えば人種差別などもその典型です。
糖尿病治療の現状を冷静にみると、まさしくそれと同様の構造が認められます。
すなわち、「食後高血糖」「平均血糖変動幅増大」が最大の酸化ストレスリスクで、それを生じるのは、糖質を摂取したときだけであり、蛋白質・脂質摂取では生じません。
これは議論の余地などない、生理学的事実です。
そして「食後高血糖」「平均血糖変動幅増大」を防げるのは糖質制限食だけです。
これほど明白な生理学的事実があるのに、多くの糖尿病専門医は、思考放棄して、支配的勢力(日本糖尿病学会)の推奨するカロリー制限食(高糖質食)を、そのまま盲目的に受け入れています。
1)「カロリー制限・高糖質食」を唯一無二の食事療法として押しつけ、今ここにリアルタイムにある危機
「食後高血糖」と「平均血糖変動幅増大」を毎日3回以上生じさせることの大きなリスク。
2)10年、20年間の長期的安全性に関するエビデンスがないのは、「カロリー制限・高糖質食」も「糖質制限食」もまったく同等である。糖質制限食の長期的安全性が担保されていないというなら、カロリー制限・高糖質食も同じ事なので、糖質制限食だけにいうのは非論理的である。
3)短期的にリアルタイムに酸化ストレスを生じる高糖質食の危険性を予防する方が、優先順位ははるかに高い。
4)短期的な安全性が確保されて、はじめて長期的安全性が確保される。
1)2)3)4)は自分の頭で考えさえれば、誰でもすぐにわかることですね。
自分の頭で考えることを放棄した多くの医師によって、日本では、1969年以来今日に至るまで44年間にわたって、
カロリー制限食(高糖質食)が、唯一無二の食事療法として推奨・指導されてきました。
その結果、現時点で「食後高血糖」「平均血糖変動幅増大」のために
糖尿病腎症からの人工透析が16000人/年
糖尿病網膜症からの失明が3000人/年
糖尿病足病変からの足切断が3000人/年
発症しています。
これが偽らざる日本の現状です。
高糖質食の弊害が、これ以上ないほど明確に証明されています。
糖質制限食なら、「食後高血糖」「平均血糖変動幅増大」はないのでこれらの合併症は生じません。
医師という責任ある職業の方々は、自分の頭で考えることを放棄して、支配的勢力の意見にに盲目的に従うこと自体が罪であると私は思います。
江部康二
☆☆☆ウィキペディア
『イェルサレムのアイヒマン』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)はハンナ・アーレントが1963年に雑誌ザ・ニューヨーカーに連載したアドルフ・アイヒマンの裁判記録である。副題は「悪の陳腐さについての報告」。
みすず書房に大久保和郎の翻訳がある。
ホロコーストの中心人物で、第二次世界大戦後にアルゼンチンのブエノスアイレスでリカード・クレメント(Ricardo Klement)という名で潜伏生活を送っていたアドルフ・アイヒマンが、イスラエルの諜報機関によって極秘逮捕されてエルサレムに連行され、1961年4月11日に始まった公開裁判の後に死刑執行されるまでを描いた本。裁判の様子を描いただけではなく、ヨーロッパ各地域で如何なる方法でユダヤ人が国籍を剥奪され、収容所に集められ、殺害されたかを詳しく綴っている。
アーレントはこの本の中でイスラエルは裁判権を持っているのか、アルゼンチンの国家主権を無視してアイヒマンを連行したのは正しかったのか、裁判そのものに正当性はあったのかなどの疑問を投げ掛けたほか、アイヒマンを極悪人として描くのではなく、極普通の小心者で取るに足らない役人に過ぎなかったと描いた。
また、アーレントは国際法上に於ける「平和に対する罪」に明確な定義がないことを指摘し、ソ連によるカティンの森事件や、アメリカによる広島・長崎への原爆投下が裁かれないことを批判している。
2013年10月29日(火)毎日新聞朝刊の、「火論」を読みました。
玉木研二氏の書いた記事で大変、興味深いものでした。
以下は「火論」の要約です。
『東京・岩波ホールでの劇映画「ハンナ・アーレント」の上映初日、風雨にもかかわらず、1回目から満員だった。
ナチ戦犯アイヒマンを裁く法廷シーンでは、実録フィルムでアイヒマン本人が登場し、この効果が大きい。アイヒマンはユダヤ人を貨物や家畜のように扱い、死地へ追いやる強制収容所移送を指揮した元親衛隊幹部である。敗戦後に逃亡して、変名でアルゼンチンで暮らしているところをイスラエル情報部が急襲、1960年5月11日、逮捕した。
エルサレムの法廷でこの初老の男は時にいらだちをのぞかせ繰り返し弁解した。「私は命令に従ったまでです」「それが命令でした」「すべて命令次第です」「事務的に処理したのです」「私は一端を担ったにすぎません」「さまざまな部署が担当しました」・・・。亡命ユダヤ人の哲学者ハンナ・アーレントは裁判を傍聴し、そこに「平凡な人間が行う悪」を見いだす。人間的な思考を放棄したものが空前の残虐な行為をなすおぞましさ。
アイヒマンは学業不振などで学校は続かず、20代で親衛隊に入隊した。やがてユダヤ人移送担当となり、実績を上げて評価される。思考の力を失い、機械的に命令や職務権限を果たしていく凡庸な軍人、官僚。それがホロコースト(大虐殺)を遂行可能にする動力ともなる。彼にとって犠牲者数は統計上の数字にすぎない。
映画はアーレントの洞察(アイヒマンを極悪人とみなすのではなく、極普通の小心者で取るに足らない役人に過ぎなかったとする見解)に対する社会の非難と、それに屈しない彼女の毅然とした姿を描き、心を打つ。
そして、アイヒマンの機械のように冷たい、どこかぼんやりしているような風情も不気味に残る。彼は極めて特異な例外的存在なのだろうか。今日も世界に絶えない大規模な破壊行為だけでなく、社会の組織的な大きな過ちや錯誤にもその小さな影を見ないだろうか。61年12月15日死刑判決。「この日エルサレムは雨と風がひどかったにもかかわらず、傍聴人席は超満員だった」と外電は伝えている。』
ごく普通の小心者の小役人のアイヒマンらが、上の命令に従って思考放棄して、結果としてホロコーストの動力となってしまったわけです。
この時自分の頭で考えることができる人が何%かいれば、ホロコーストは阻止できたのでしょうか?
このような話だと、杉原 千畝(すぎはら ちうね)氏を思い起こします。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原氏は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られています。(ウィキペディアを参照しました)
杉原千畝氏の場合、たった一人の人間が、自分の頭で考えて判断して、外務省の命令を無視して、大量のビザを発給して、6000人のユダヤ人の命を救ったのです。
さて、「火論」の玉木研二氏も
「社会の組織的な大きな過ちや錯誤にもその小さな影を見ないだろうか。」
と指摘しているように、ごく普通の人達が、思考放棄して、社会や会社や地域の支配的な勢力に従ってしまうことで、結果として過ちや錯誤を犯してしまう。
日本でも世界でもそのような構造があると思います。
例えば人種差別などもその典型です。
糖尿病治療の現状を冷静にみると、まさしくそれと同様の構造が認められます。
すなわち、「食後高血糖」「平均血糖変動幅増大」が最大の酸化ストレスリスクで、それを生じるのは、糖質を摂取したときだけであり、蛋白質・脂質摂取では生じません。
これは議論の余地などない、生理学的事実です。
そして「食後高血糖」「平均血糖変動幅増大」を防げるのは糖質制限食だけです。
これほど明白な生理学的事実があるのに、多くの糖尿病専門医は、思考放棄して、支配的勢力(日本糖尿病学会)の推奨するカロリー制限食(高糖質食)を、そのまま盲目的に受け入れています。
1)「カロリー制限・高糖質食」を唯一無二の食事療法として押しつけ、今ここにリアルタイムにある危機
「食後高血糖」と「平均血糖変動幅増大」を毎日3回以上生じさせることの大きなリスク。
2)10年、20年間の長期的安全性に関するエビデンスがないのは、「カロリー制限・高糖質食」も「糖質制限食」もまったく同等である。糖質制限食の長期的安全性が担保されていないというなら、カロリー制限・高糖質食も同じ事なので、糖質制限食だけにいうのは非論理的である。
3)短期的にリアルタイムに酸化ストレスを生じる高糖質食の危険性を予防する方が、優先順位ははるかに高い。
4)短期的な安全性が確保されて、はじめて長期的安全性が確保される。
1)2)3)4)は自分の頭で考えさえれば、誰でもすぐにわかることですね。
自分の頭で考えることを放棄した多くの医師によって、日本では、1969年以来今日に至るまで44年間にわたって、
カロリー制限食(高糖質食)が、唯一無二の食事療法として推奨・指導されてきました。
その結果、現時点で「食後高血糖」「平均血糖変動幅増大」のために
糖尿病腎症からの人工透析が16000人/年
糖尿病網膜症からの失明が3000人/年
糖尿病足病変からの足切断が3000人/年
発症しています。
これが偽らざる日本の現状です。
高糖質食の弊害が、これ以上ないほど明確に証明されています。
糖質制限食なら、「食後高血糖」「平均血糖変動幅増大」はないのでこれらの合併症は生じません。
医師という責任ある職業の方々は、自分の頭で考えることを放棄して、支配的勢力の意見にに盲目的に従うこと自体が罪であると私は思います。
江部康二
☆☆☆ウィキペディア
『イェルサレムのアイヒマン』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)はハンナ・アーレントが1963年に雑誌ザ・ニューヨーカーに連載したアドルフ・アイヒマンの裁判記録である。副題は「悪の陳腐さについての報告」。
みすず書房に大久保和郎の翻訳がある。
ホロコーストの中心人物で、第二次世界大戦後にアルゼンチンのブエノスアイレスでリカード・クレメント(Ricardo Klement)という名で潜伏生活を送っていたアドルフ・アイヒマンが、イスラエルの諜報機関によって極秘逮捕されてエルサレムに連行され、1961年4月11日に始まった公開裁判の後に死刑執行されるまでを描いた本。裁判の様子を描いただけではなく、ヨーロッパ各地域で如何なる方法でユダヤ人が国籍を剥奪され、収容所に集められ、殺害されたかを詳しく綴っている。
アーレントはこの本の中でイスラエルは裁判権を持っているのか、アルゼンチンの国家主権を無視してアイヒマンを連行したのは正しかったのか、裁判そのものに正当性はあったのかなどの疑問を投げ掛けたほか、アイヒマンを極悪人として描くのではなく、極普通の小心者で取るに足らない役人に過ぎなかったと描いた。
また、アーレントは国際法上に於ける「平和に対する罪」に明確な定義がないことを指摘し、ソ連によるカティンの森事件や、アメリカによる広島・長崎への原爆投下が裁かれないことを批判している。
江部先生と夏井先生、お二人の対談のなかで言われてましたね。
「糖尿病専門医は、合併症の悲惨な状況を自分の目で見ていないから、危機感が足りない」
殺人にも等しい治療と称する行為を、漫然と今日も明日も続ける「権威と称されるDRたち」。
牢固としたその頑迷さを、われわれ患者は看過することはできません。
自分の頭で考えないDRに、命を預ける訳にはいきません。
夏井先生のブログでも若いDRの決意表明がありました。
そういう方を熱烈に応援します。
そういえば、大前研一さんのBBT大学に面白いプロジェクトがあります。
SPOF [ 背中をポンと押すファンド ]
http://www.attackers-school.com/support/
-- やる気はあるけれども資金不足で一歩踏み出せない事業家志望の若者に、
資金を投資して企業を手助けする -- という代物です。
ぜひぜひ、江部先生! 夏井先生!
若いDR達の背中をポンポンと押してください。
「糖尿病専門医は、合併症の悲惨な状況を自分の目で見ていないから、危機感が足りない」
殺人にも等しい治療と称する行為を、漫然と今日も明日も続ける「権威と称されるDRたち」。
牢固としたその頑迷さを、われわれ患者は看過することはできません。
自分の頭で考えないDRに、命を預ける訳にはいきません。
夏井先生のブログでも若いDRの決意表明がありました。
そういう方を熱烈に応援します。
そういえば、大前研一さんのBBT大学に面白いプロジェクトがあります。
SPOF [ 背中をポンと押すファンド ]
http://www.attackers-school.com/support/
-- やる気はあるけれども資金不足で一歩踏み出せない事業家志望の若者に、
資金を投資して企業を手助けする -- という代物です。
ぜひぜひ、江部先生! 夏井先生!
若いDR達の背中をポンポンと押してください。
ライフワーク光野 さん
ありがとうございます。
若いドクターや中年ドクターあるいは熟年ドクターでも
自分で考える力とスタイルを持ってさえいればいいのです。
なんぼでも、背中を押そうとおもいます。
ありがとうございます。
若いドクターや中年ドクターあるいは熟年ドクターでも
自分で考える力とスタイルを持ってさえいればいいのです。
なんぼでも、背中を押そうとおもいます。
2013/12/01(Sun) 19:16 | URL | ドクター江部 | 【編集】
訂正です。
企業を手助けする
→
起業を手助けする
企業を手助けする
→
起業を手助けする
私は門外漢です。カロリー制限食を奉り糖質ショックの生理的事実を他人事のように平然と無視出来る。眼前の事実として合併症に苦しむ患者が居るのに見ようとしない。想像力に欠けるので自分の事にならないと酷さ痛さに目覚めない。利他心が無く慈愛が薄い。覚醒しているDr.も多いのでしょうがこれすべて総合的人間力の欠如ですナァ~~~^^;
同感です。
余談ながら、脳で考えるだけの脳化社会=近代化社会ですが、もっと感覚に訴える=糖質のみが血糖値を上昇させるという事実を、体でわかる努力をしなければ、人という生命体としては尽きてしまうかもしれませんね。大げさですかね。
余談ながら、脳で考えるだけの脳化社会=近代化社会ですが、もっと感覚に訴える=糖質のみが血糖値を上昇させるという事実を、体でわかる努力をしなければ、人という生命体としては尽きてしまうかもしれませんね。大げさですかね。
2013/12/02(Mon) 09:05 | URL | クワトロ | 【編集】
クワトロさん、私はDM糖質制限24ヶ月中です。それにしても、サビついた脳ミソに督励して朝夕に考えてしまいました。それで、大げさどころかやはりこれは人間理解の根源的命題で有ると!
事実として自他共に存在している事態を無視しその感覚さえ閉じ思考さえしない。それは中世のキリスト教会の悪弊にも似て、重ねて実験検証を必要としない曲学阿世のプロパガンダと同質である。だから糖質制限が謳われ無い世は少なくても退廃傾向である(*^_^*)
事実として自他共に存在している事態を無視しその感覚さえ閉じ思考さえしない。それは中世のキリスト教会の悪弊にも似て、重ねて実験検証を必要としない曲学阿世のプロパガンダと同質である。だから糖質制限が謳われ無い世は少なくても退廃傾向である(*^_^*)
いつも拝見しています。
ライブ、お疲れさまでした。
ここの評論がとても印象に残り、遅れてやってきた地方都市へ、先日「ハンナ アーレント」を見に行きました。やはり春の嵐の日でしたが、お客の入りは多かったです。キネマ旬報の2013年の読者票では確か1位、だけのことはありました。こちらは映評のサイトではないですが、動機が江部先生押しだったから、コメントを送らせてください。
あまりにも私がナチスの悪行を知らないのはさて置いて;
私が印象的だったのは、生き残ったユダヤ人が九死に一生を得た後もひどい差別を受けていたという事実と、法廷で被害者として証言をしようにも、あまりに悲惨な自己体験は、客観的にはとても人が納得できるような形では伝えられないということでした。(これをPTSDと呼ぶのでしょうか)
そして、アイヒマンは別にユダヤ人が憎かったわけではない。ただ、仕事だからやったんだ、と思っていることがよくわかりました。反省できないのは無理もない。自分は何か悪い事をやったのか!?まじめに忠実に仕事に従事しただけだ、と本当にそう思っていたのでしょうね。
弁護士はつかなかったのでしょうか?弁護士がついたら戦略で、「致し方なく不本意で申し訳ないことをした」と言ってウソ泣きで情状酌量を狙えたかもしれないのに。(でも逆に、アイヒマンのこの本音が録画に残っていたのは貴重でした)
人間と悪。
遠藤周作さんのいくつかの小説を思い出していました。
「自分はアイヒマンになっていないか?」と、自分の仕事に、行為に、フィードバックかけること大事だと思いました。
ハーレントの伝えたかったことが世間に届かず、バッシングされたのは残念で、気の毒でした。
ライブ、お疲れさまでした。
ここの評論がとても印象に残り、遅れてやってきた地方都市へ、先日「ハンナ アーレント」を見に行きました。やはり春の嵐の日でしたが、お客の入りは多かったです。キネマ旬報の2013年の読者票では確か1位、だけのことはありました。こちらは映評のサイトではないですが、動機が江部先生押しだったから、コメントを送らせてください。
あまりにも私がナチスの悪行を知らないのはさて置いて;
私が印象的だったのは、生き残ったユダヤ人が九死に一生を得た後もひどい差別を受けていたという事実と、法廷で被害者として証言をしようにも、あまりに悲惨な自己体験は、客観的にはとても人が納得できるような形では伝えられないということでした。(これをPTSDと呼ぶのでしょうか)
そして、アイヒマンは別にユダヤ人が憎かったわけではない。ただ、仕事だからやったんだ、と思っていることがよくわかりました。反省できないのは無理もない。自分は何か悪い事をやったのか!?まじめに忠実に仕事に従事しただけだ、と本当にそう思っていたのでしょうね。
弁護士はつかなかったのでしょうか?弁護士がついたら戦略で、「致し方なく不本意で申し訳ないことをした」と言ってウソ泣きで情状酌量を狙えたかもしれないのに。(でも逆に、アイヒマンのこの本音が録画に残っていたのは貴重でした)
人間と悪。
遠藤周作さんのいくつかの小説を思い出していました。
「自分はアイヒマンになっていないか?」と、自分の仕事に、行為に、フィードバックかけること大事だと思いました。
ハーレントの伝えたかったことが世間に届かず、バッシングされたのは残念で、気の毒でした。
2014/03/22(Sat) 10:01 | URL | 戸田 | 【編集】
戸田 さん
ありがとうございます。
お陰様で、ライブは、12月、1月、2月、3月とずっと盛況で、嬉しい限りです。
「ハンナ アーレント」
実は私はまだ見ていないのです。
新聞記事や、インターネットの記事をみて、
私のブログ記事にしました。
「ハンナ アーレント」 の著作「イェルサレムのアイヒマン」は買いましたが、
字が超小さくて、量が多くて、挫折しました。
映画といえばここ数年見ていない様な気がします。
京都に来てチャンスがあれば「ハンナ アーレント」是非、見にいきたいと思います。
ありがとうございます。
お陰様で、ライブは、12月、1月、2月、3月とずっと盛況で、嬉しい限りです。
「ハンナ アーレント」
実は私はまだ見ていないのです。
新聞記事や、インターネットの記事をみて、
私のブログ記事にしました。
「ハンナ アーレント」 の著作「イェルサレムのアイヒマン」は買いましたが、
字が超小さくて、量が多くて、挫折しました。
映画といえばここ数年見ていない様な気がします。
京都に来てチャンスがあれば「ハンナ アーレント」是非、見にいきたいと思います。
2014/03/22(Sat) 17:14 | URL | ドクター江部 | 【編集】
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