2007年10月04日 (木)
こんばんは、江部康二です。
今日は、今流行の『食育』についての質問です。
「食育について。
ドクター江部康二さま。
高雄病院京都駅前診療所開設、予約の患者さんへの対応で大忙しの幕開け…よかったですね! おめでとうございます。
電子カルテも、ドクター江部ならば、ブログ効果できっとすんなり使いこなせるんじゃないかしら。
私は、ドクターより10歳以上(?)は若いと思うのですが、ブログ開設に四苦八苦しております。
私も、ドクターを見習って、ブログ効果で減酒への近道を狙っているのですが。
さて、食生活全般についての質問です。お時間があったら教えてください。
いま世間では、ちょっとした「食育」ブームですよね。メディアでも頻繁に使われるようになった言葉ですが、その使われ方にハテナ?と思うことがしばしばなんです。
本来「食育」という言葉は、食養生の考えから生まれた言葉であるはず…。
その根幹には、日本の伝統的な食生活を見直そうという発想があったと思うんです。
季節感、土地のもの、なるべく安全な食品…。
大量生産、大量流通、大量消費への警鐘というか。
そういったことがキーワードだったように記憶しているのですが。
現在は、規則正しく朝昼晩三食きちんと食べて、しかも、栄養バランスを考えて、好き嫌いをなくしてなんでも食べる。それが食育の基本のように言われています。
西洋栄養学の、カロリー計算的な視点で語られているような気がするんです。
食の安全性については一切触れられない(企業との絡みがあるからでしょうか)
これはこれで一見間違ってはいないようでもあるが、なにか根本がズレている…。
息子の幼稚園にやってくる地元保健所の栄養士さんの話を聞いていると、なんでこんなややこしい話になるのだろう? と思うことがしばしば。
とにかく、炭水化物でお腹をいっぱいにして、副食は赤青黄色の野菜をたっぷりとって、動物性たんぱく質は少なめに、脂質はできるかぎり抑える(肉は控え、揚げ物は厳禁)。バターはダメでマーガリンにしましょう。カロリー計算も忘れずに…。
という感じなんです…。とほほ。
ウチの6歳の息子は、「糖質制限食」的食生活をしていて、
どうも幼稚園で浮いているようなんです…。
食生活の常識は、ドクター江部の理論ですっかりくつがえされたと思うのですが、打破していくには、まだまだ行政レベルでは、ハードルの高い課題です。
ちょっと脱線しましたが、「食育」という言葉の定義をドクター江部ならばどのようにお考えでしょうか?
本来的な意味もきちんと知りたいと思う今日この頃でした。
by: シープシぺッタ * 2007/10/02 11:31 * URL」
シープシペッタさん。お祝いのコメントありがとうございます。
確かに、現在は猫も杓子も食育、食育で何やら正体不明といった雰囲気ですよね。
もともと高雄病院では、1984年から給食に玄米魚菜食を導入していたり、私自身、「粗食のすすめ」の著者・幕内秀夫先生の「学校給食と子どもの健康を考える会」に協力して、給食をパンからお米にという運動を展開しています。
このように、私も食養生を提唱してきた医師の一人として、食育関係の講演を頼まれることがあります。
そこで感じたことは、主催する団体にによってかなり食育に対するイメージに差があるということです。
シープシペッタさんが経験された『朝昼晩三食きちんと食べて栄養バランスを考える系』、『子供の教育系』、『食糧自給率を上げよう系』、『食品の安全性確保系』、『自然食・有機農法系』、『伝統的な食文化を守ろう系』・・・
かなり雑多な混沌状態ですので、まずは少し食育の歴史的ルーツと変遷を辿ってみましょう。
食育という言葉は、明治時代に石塚左玄が初めて用いました。
左玄は1851年、漢方医・石塚泰助の長男として福井市に生まれました。 その生い立ちから、漢方医学にも精通していました。
石塚左玄は、明治の文明開化の中で、欧米近代医学を学び、陸軍軍医の道に入り、陸軍少将、薬剤監にまでのぼりつめ退官しました。
退官後は開業し、自らを「食医」と称し、「食べ物が病気をつくり、食べ物が病気を治す」と考え、食養医学を提唱しました。
「食物養生法」という本を発行したこともあり石塚養生所には患者が門前市をなしたと言われています。
食本主義、穀食主義、身土不二論、一物全体食、夫婦アルカリ(ナトリウムとカリウムの調和)論など現在の食養の基本を創生したのも石塚左玄なのです。
しかし、食育という言葉はあまり広がらずに、戦後を待つこととなります。
石塚左玄の食養法によって健康を回復した桜沢如一が興したマクロビオティックが、戦後それなりの広がりを見せました。
昭和50年代になると有機農法、自然食、代替医療といった流れの中で「食育」がぼちぼち唱えられるようになり始めました。この頃の食育は石塚左玄の提唱に近いものと考えられます。
時は移って、平成14年11月21日、自民党の政務調査会内に「食育調査会」が設置されました。
一般にあまり知られていない「食育」という言葉でしたが、マスコミにもとりあげられ、翌15年に小泉総理の施政方針演説に取り上げられて「食育」が一般化しました。
平成17年6月10日、食育基本法が成立しました。食育によって国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことを目的としているそうです。
歴史的に振り返ってみると、ルーツは間違いなく石塚左玄ですね。「食育基本法」の中に書いてある『食育は生きる上での基本であり、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの』というのも、ほとんど左玄のパチリですね。
左玄の「通俗食物養生法」に「今日、学童を持つ人は、体育も智育も才育も、すべて食育であると認識すべき」と記され、食育、知育、徳育、体育、才育を合わせた「五育」の中で食育は子育ての土台にあるとし、知育、徳育、体育、才育はすべて食育の下に位置すると位置づけています。
なお「食育基本法」、このように理念はなかなかいいのですが、かなり長ったらしくて総花的なことが書いてあります。また石塚左玄のことをどこまで理解して取り入れたのかも不明です。
まあ、興味がある方は、下記のホームページを参照してみてください。
続く・・・次回は、私の食育感を書いてみたいと思います。
***食育基本法
http://www.e-shokuiku.com/kihonhou/index.html" target="_blank"> http://www.e-shokuiku.com/kihonhou/index.html
今日は、今流行の『食育』についての質問です。
「食育について。
ドクター江部康二さま。
高雄病院京都駅前診療所開設、予約の患者さんへの対応で大忙しの幕開け…よかったですね! おめでとうございます。
電子カルテも、ドクター江部ならば、ブログ効果できっとすんなり使いこなせるんじゃないかしら。
私は、ドクターより10歳以上(?)は若いと思うのですが、ブログ開設に四苦八苦しております。
私も、ドクターを見習って、ブログ効果で減酒への近道を狙っているのですが。
さて、食生活全般についての質問です。お時間があったら教えてください。
いま世間では、ちょっとした「食育」ブームですよね。メディアでも頻繁に使われるようになった言葉ですが、その使われ方にハテナ?と思うことがしばしばなんです。
本来「食育」という言葉は、食養生の考えから生まれた言葉であるはず…。
その根幹には、日本の伝統的な食生活を見直そうという発想があったと思うんです。
季節感、土地のもの、なるべく安全な食品…。
大量生産、大量流通、大量消費への警鐘というか。
そういったことがキーワードだったように記憶しているのですが。
現在は、規則正しく朝昼晩三食きちんと食べて、しかも、栄養バランスを考えて、好き嫌いをなくしてなんでも食べる。それが食育の基本のように言われています。
西洋栄養学の、カロリー計算的な視点で語られているような気がするんです。
食の安全性については一切触れられない(企業との絡みがあるからでしょうか)
これはこれで一見間違ってはいないようでもあるが、なにか根本がズレている…。
息子の幼稚園にやってくる地元保健所の栄養士さんの話を聞いていると、なんでこんなややこしい話になるのだろう? と思うことがしばしば。
とにかく、炭水化物でお腹をいっぱいにして、副食は赤青黄色の野菜をたっぷりとって、動物性たんぱく質は少なめに、脂質はできるかぎり抑える(肉は控え、揚げ物は厳禁)。バターはダメでマーガリンにしましょう。カロリー計算も忘れずに…。
という感じなんです…。とほほ。
ウチの6歳の息子は、「糖質制限食」的食生活をしていて、
どうも幼稚園で浮いているようなんです…。
食生活の常識は、ドクター江部の理論ですっかりくつがえされたと思うのですが、打破していくには、まだまだ行政レベルでは、ハードルの高い課題です。
ちょっと脱線しましたが、「食育」という言葉の定義をドクター江部ならばどのようにお考えでしょうか?
本来的な意味もきちんと知りたいと思う今日この頃でした。
by: シープシぺッタ * 2007/10/02 11:31 * URL」
シープシペッタさん。お祝いのコメントありがとうございます。
確かに、現在は猫も杓子も食育、食育で何やら正体不明といった雰囲気ですよね。
もともと高雄病院では、1984年から給食に玄米魚菜食を導入していたり、私自身、「粗食のすすめ」の著者・幕内秀夫先生の「学校給食と子どもの健康を考える会」に協力して、給食をパンからお米にという運動を展開しています。
このように、私も食養生を提唱してきた医師の一人として、食育関係の講演を頼まれることがあります。
そこで感じたことは、主催する団体にによってかなり食育に対するイメージに差があるということです。
シープシペッタさんが経験された『朝昼晩三食きちんと食べて栄養バランスを考える系』、『子供の教育系』、『食糧自給率を上げよう系』、『食品の安全性確保系』、『自然食・有機農法系』、『伝統的な食文化を守ろう系』・・・
かなり雑多な混沌状態ですので、まずは少し食育の歴史的ルーツと変遷を辿ってみましょう。
食育という言葉は、明治時代に石塚左玄が初めて用いました。
左玄は1851年、漢方医・石塚泰助の長男として福井市に生まれました。 その生い立ちから、漢方医学にも精通していました。
石塚左玄は、明治の文明開化の中で、欧米近代医学を学び、陸軍軍医の道に入り、陸軍少将、薬剤監にまでのぼりつめ退官しました。
退官後は開業し、自らを「食医」と称し、「食べ物が病気をつくり、食べ物が病気を治す」と考え、食養医学を提唱しました。
「食物養生法」という本を発行したこともあり石塚養生所には患者が門前市をなしたと言われています。
食本主義、穀食主義、身土不二論、一物全体食、夫婦アルカリ(ナトリウムとカリウムの調和)論など現在の食養の基本を創生したのも石塚左玄なのです。
しかし、食育という言葉はあまり広がらずに、戦後を待つこととなります。
石塚左玄の食養法によって健康を回復した桜沢如一が興したマクロビオティックが、戦後それなりの広がりを見せました。
昭和50年代になると有機農法、自然食、代替医療といった流れの中で「食育」がぼちぼち唱えられるようになり始めました。この頃の食育は石塚左玄の提唱に近いものと考えられます。
時は移って、平成14年11月21日、自民党の政務調査会内に「食育調査会」が設置されました。
一般にあまり知られていない「食育」という言葉でしたが、マスコミにもとりあげられ、翌15年に小泉総理の施政方針演説に取り上げられて「食育」が一般化しました。
平成17年6月10日、食育基本法が成立しました。食育によって国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことを目的としているそうです。
歴史的に振り返ってみると、ルーツは間違いなく石塚左玄ですね。「食育基本法」の中に書いてある『食育は生きる上での基本であり、知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの』というのも、ほとんど左玄のパチリですね。
左玄の「通俗食物養生法」に「今日、学童を持つ人は、体育も智育も才育も、すべて食育であると認識すべき」と記され、食育、知育、徳育、体育、才育を合わせた「五育」の中で食育は子育ての土台にあるとし、知育、徳育、体育、才育はすべて食育の下に位置すると位置づけています。
なお「食育基本法」、このように理念はなかなかいいのですが、かなり長ったらしくて総花的なことが書いてあります。また石塚左玄のことをどこまで理解して取り入れたのかも不明です。
まあ、興味がある方は、下記のホームページを参照してみてください。
続く・・・次回は、私の食育感を書いてみたいと思います。
***食育基本法
http://www.e-shokuiku.com/kihonhou/index.html" target="_blank"> http://www.e-shokuiku.com/kihonhou/index.html
ドクター江部康二さま。
食育に関する、ワタクシの質問にお応えくださって、心から感謝しております。
幼稚園の先生方や、行政の保健所の栄養士さんたちのご指導は、
前提は、あくまで「子どものため」を思ってしてくださっているのだろう、とは思います。
とりたてて、保護者が意義を申し立てるほどのことではないかもしれない。
知らん顔して、適当に話を聞いていれば、よいのかも…、
園生活を快適に過ごすには、そのほうが無難なのかも? と思ったり…。
でも、なにか、根本がズレている、
そのズレは、ものすごく決定的に、間違っているのではないか。
常識とされてしまっていることが、知らず知らずの、
国民的洗脳に近い危機感を、私は感じてしまいます。
でも、別に、私たち日本人は、洗脳されたままでも、
なにも矛盾も感じず、生きていけるのかもしれない。
でも、その結果、いまの日本は、なんたるていたらくか、なんて、
思ったりもするのです。
声高に言うことも、はばかれるご時世・人間関係の渦のなかで、
ドクター江部の主張は、私の心の励みにもなっています。
幼稚園の先生方がお使いになる、
「体力」という言葉も、いつも気になります。
カラダがまだ確立していない、3歳から6歳の幼児期に、
多くの子どもが、バレーや、剣道などの格闘技系や、スイミングに通っていて、
カラダを酷使するような体操教室が、もてはやされている。
オリンピック選手養成するつもりなのか~。
あげくに、音楽教室や、英会話やら、塾やらに通わされている。
幼稚園の先生にも、園の行事のために、
子どのの健康管理を万全に、お休みにしないよう、
日常生活で注意してください、と指導される。
少し、休養させると、なにか、生活上で悪いことをしたような指導を受けます。
そんな指導を聞くたび、「ウチの子はロボットではないぞ」と思うのです。
風邪はカラダの調節、
幼児は、鼻水をたらしたり、咳をしたり、お熱をだしたりしながら、
大人になっていくのではないでしょうか?
私は、もっと自然に近い形で、
教育も、体育も、知育も、食育も、
本来的な意味で、見据えていきたいな、と、
我が子を育てながら思うのです。
子どのの要求を、ちゃんと観察していると、
糖質制限食が、自然にかなったことであると、思えてきます。
ドクター江部は、つねに、マイナーメジャーの王道を走っている、
その姿勢に、エールを送り続けています。
今日のドクターのブログのテキストを園長にもお見せして、
少し、食育について、問題定義してみようと、思います。
ワタクシは、すでに幼稚園では、相当変なお母さんと思われているので、
この際、チャレンジしてみます。
ワタクシの主張の根拠となる、史実、理論のご提示ありがとうございました。
ぜひ、ドクター江部の、食育感を聞かせてくださいね。
食育に関する、ワタクシの質問にお応えくださって、心から感謝しております。
幼稚園の先生方や、行政の保健所の栄養士さんたちのご指導は、
前提は、あくまで「子どものため」を思ってしてくださっているのだろう、とは思います。
とりたてて、保護者が意義を申し立てるほどのことではないかもしれない。
知らん顔して、適当に話を聞いていれば、よいのかも…、
園生活を快適に過ごすには、そのほうが無難なのかも? と思ったり…。
でも、なにか、根本がズレている、
そのズレは、ものすごく決定的に、間違っているのではないか。
常識とされてしまっていることが、知らず知らずの、
国民的洗脳に近い危機感を、私は感じてしまいます。
でも、別に、私たち日本人は、洗脳されたままでも、
なにも矛盾も感じず、生きていけるのかもしれない。
でも、その結果、いまの日本は、なんたるていたらくか、なんて、
思ったりもするのです。
声高に言うことも、はばかれるご時世・人間関係の渦のなかで、
ドクター江部の主張は、私の心の励みにもなっています。
幼稚園の先生方がお使いになる、
「体力」という言葉も、いつも気になります。
カラダがまだ確立していない、3歳から6歳の幼児期に、
多くの子どもが、バレーや、剣道などの格闘技系や、スイミングに通っていて、
カラダを酷使するような体操教室が、もてはやされている。
オリンピック選手養成するつもりなのか~。
あげくに、音楽教室や、英会話やら、塾やらに通わされている。
幼稚園の先生にも、園の行事のために、
子どのの健康管理を万全に、お休みにしないよう、
日常生活で注意してください、と指導される。
少し、休養させると、なにか、生活上で悪いことをしたような指導を受けます。
そんな指導を聞くたび、「ウチの子はロボットではないぞ」と思うのです。
風邪はカラダの調節、
幼児は、鼻水をたらしたり、咳をしたり、お熱をだしたりしながら、
大人になっていくのではないでしょうか?
私は、もっと自然に近い形で、
教育も、体育も、知育も、食育も、
本来的な意味で、見据えていきたいな、と、
我が子を育てながら思うのです。
子どのの要求を、ちゃんと観察していると、
糖質制限食が、自然にかなったことであると、思えてきます。
ドクター江部は、つねに、マイナーメジャーの王道を走っている、
その姿勢に、エールを送り続けています。
今日のドクターのブログのテキストを園長にもお見せして、
少し、食育について、問題定義してみようと、思います。
ワタクシは、すでに幼稚園では、相当変なお母さんと思われているので、
この際、チャレンジしてみます。
ワタクシの主張の根拠となる、史実、理論のご提示ありがとうございました。
ぜひ、ドクター江部の、食育感を聞かせてくださいね。
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