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代謝症候群の診断基準
コメントを頂きありがとうございます。

代謝症候群の診断基準の表は高雄病院のホームページを参照していただけば幸いです。http://takao-hospital.jp/iryo/metabolic.php

じにんさん、 糖質制限食にて代謝症候群脱却おめでとうさんです。
らお子さんも糖質制限食で糖尿人にならずにすんで良かったです。
私達と同様の糖尿人になって頂いても大歓迎ですが・・・。

2007.3.30,江部康二
メタボリックシンドロームと肥満④
こんにちは、江部康二です。

今やすっかり耳に馴染んだ、“メタボリックシンドローム”ですが、今回は、この言葉のルーツについてです。

メタボリックシンドロームのルーツ>
内臓肥満」、「高血圧」、「高中性脂肪血症」、「低HDLコレステロール血症」、「耐糖能異常」―これら一つ一つはたいしたことが無くても下記の診断基準(表1:日本動脈硬化学会2005年)を満たすとメタボリックシンドローム(代謝症候群)と呼びます。

内臓肥満があると糖尿病、高血圧、高指血症が合併しやすいのですが、恐ろしいのはこれらの病気が動脈硬化を起こしやすいことです。

コレステロールが沈着した血管は、お粥の様にもろい状態で、粥状動脈硬化症と呼ばれています。もろい粥状のこぶ(プラーク)が破裂するとそこには血栓という血の固まりができ、血管をふさいでしまいます。これが脳の血管に起こると脳梗塞になりますし、心臓の血管に起こると心筋梗塞になります。

ちなみにメタボリックシンドロームの人は何もない人に比べたら心筋梗塞をおこす可能性が約30倍と言われています。

メタボリックシンドロームは1999年にWHOが概念を提唱し、診断基準が示されました。2001年に米国NCEP(国立コレステロール教育プログラム)でも定義付けがなされました。それまで「死の四重奏」(1989,Kaplan)、シンドロームX(1988、Reaven)、インスリン抵抗性症候群(1991、Fronzo)、内臓脂肪症候群(1987、松澤)と似通った概念が提唱されていたのを整理整頓したものです。日本動脈硬化学会のマルチプルリスクファクター症候群(2002、動脈硬化性疾患ガイドライン)もメタボリックシンドロームと同一と考えてよいです。

最近日本人の成人の約4人に1人がメタボリックシンドロームと言われています。メタボリックシンドロームの人は、脳梗塞や心筋梗塞になる前に糖質制限食を実践して内臓肥満を解消することが急務です。

メタボリックシンドロームと肥満③
こんにちは、江部康二です。

メタボリックシンドロームと肥満編の続きです。

最近、糖尿病、高血圧、高指血症などの病気が急増しています。現在、日本における糖尿病患者数は約740万人で、10年前に比べると倍近い数になっています。ここ40年間では、50倍に増えています。

その背景には、内臓脂肪の蓄積があると考えられています。内臓脂肪は年をとると、より蓄積しやすくなることが知られています。

男性の肥満者では、年齢と共に内臓脂肪の割合が増加していきます。特に成人後体重が増加した人は、内臓脂肪が増えている場合が多く認められます。

女性の場合は、妊娠時に体脂肪が増加しますが、皮下脂肪も増えます。また内臓脂肪は閉経期を迎えるまでは徐々にしか増加しませんが、閉経後は2倍以上の速さで増加します。

内臓脂肪は近年ホルモン産生臓器と位置づけられています。即ち血圧を上昇させるホルモン、インスリン抵抗性を引き起こすホルモン、狭心症や脳梗塞を発症しやすくするホルモンなどを分泌していることが解ってきたのです。

皮下脂肪はこれらの身体に都合の悪いホルモンはほとんど分泌していません。単純に言うと皮下脂肪は食料の備蓄として役に立っているけれど、内臓脂肪は基本的に悪玉と言えます。


メタボリック・シンドロームと肥満②
こんにちは、江部康二です。

三月に入って寒い日が続いていましたが、ようやく日差しに春を感じることができるようになってきました。
とは言え、私の勤務する高雄は、京都市の北部にあるのでまだまだ寒いですが。

前回から、『メタボリック・シンドロームと肥満』をテーマにブログを書いてます。少し専門的な内容もありますが、なるべく分かりやすく書いていきたいと思います。

<肥満>
身体に過剰に脂肪が溜まると肥満です。肥満の判定はBMI<体重(kg)÷身長(m)2>という指標で行います。これは身体に占める脂肪の割合とよく一致し、22が男女とも病気が一番少ない標準値です。

BMIが25以上で、肥満と判定された人のうち肥満に起因する健康障害、例えば糖尿病、高血圧、高脂血症、心臓病などがあるか、または内臓脂肪型肥満(腹部内臓脂肪量が100cm2以上)である場合を肥満症と診断して治療が必要となります。

内臓肥満
皮下脂肪は皮膚の下にたまった脂肪のことです。一方内臓脂肪は、お腹の中の腸の周りなどにつく脂肪です。両者併せたものが体脂肪です。
 
内臓肥満とは、「内臓脂肪」がたまった肥満のことです。お腹のCTを撮影することによりその存在が確認できます。内臓肥満の人は、皮下脂肪型肥満の人に比べ、糖尿病、高血圧、高脂血症などの病気が多く認められます。皮下脂肪のたくさん付いた人よりも、内臓脂肪がたくさん付いている人のほうが危険なのです。

今現在病気がなくても、内臓脂肪がたまった状態で放置すると、将来生活習慣病になりやすいのです。男性で腹囲85cm以上、女性で腹囲90cm以上の人は内臓脂肪肥満の可能性が高いとされています。
メタボリック・シンドロームと肥満①
 こんにちは、江部康二です。

 前回まで、江部康二の自分史シリーズが終わりました。私の略歴と、漢方から始まってアトピー治療、糖尿病治療までの診察暦や治療観、また、玄米魚菜食から糖質制限食、テーラーメイドダイエットにたどり着いた経緯などが分かっていただけたと思います。

 今回からは、糖尿病予備群となりうる『メタボリック・シンドロームと肥満』について書いていきたいと思います。

<はじめに>
糖尿病の患者さんはもちろんですが、アトピーの患者さんも時々採血をします。抗アレルギー剤や漢方薬の服用でもごくまれには肝機能障害などの副作用があり得るからです。

 それで気がついたことですが、結構異常データがでることがあります。女性なら鉄欠乏性貧血が一番多いですし、高脂血症は男女を問わずかなり多いです。中年以上ならいざ知らず、若い人でも中性脂肪が高値の人や、HDL-コレステロールが低値の人が存外ひっかかります。

それからアトピーの子供さんを診察している時に、お父さんやお母さん・おじいちゃんやおばあちゃんが一緒にくることもありますが、どうみてもお腹がポッチャリのメタボ腹の人がいます。

 というわけで、ここからは糖尿病患者さんおよび糖尿病患者さんのご家族の一部の方におおいに役立つであろう「肥満」「メタボリックシンドローム」のお話です。
じにんさんの3.22のコメントへのお返事
 じにんさん。はじめまして。

 3.22、コメントありがとうございます。私もmixiでじにんさんのコミュニティ「糖質制限食」を時々訪問して興味深く拝見しています。糖質制限食が普及していけば日本の医療費も1兆円以上減りますので、コミュニティ「糖質制限食」発展を願っています。

 また私の本を購入していただきありがとうございました。糖質制限食を実践していただけば、HbA1cが月に1~1.5%改善していきますから、じにんさんも 5月には、「糖尿人→正常人」の可能性が高いです。

 5月には「糖質制限食 夏のレシピ」が出版予定です。この本は糖尿病だけでなく、ダイエットと食べてもOKの甘いもの特集ですのでご期待ください。
テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエット⑭
こんばんは、江部康二です。

 今回は、テーラーメイドダイエット編の最終話です。 

 ところで玄米魚菜食、糖質制限食、断食に共通する現象があります。それは血糖値の上下動が少なくて代謝が安定することで、これが各食事療法の効果という点で決定的に重要といえます。

 空腹時血糖値と食後血糖値の差を「ブドウ糖スパイク」といいます。糖尿病の人が糖質を摂取すればブドウ糖スパイクは100~200,300mg/dlとなりリアルタイムに血管内皮を傷つけ動脈硬化を生じ、将来の心筋梗塞のリスクとなります。

 正常の人でも白いパンなど精製された糖質を食べると、60~70mgのミニスパイクを生じて代謝が乱れます。このミニスパイクを30年、40年、50年と毎日繰り返すことが生活習慣病の根本要因と私は考えています。玄米なら正常の人だと20~30mgしか血糖を上昇させず代謝が安定します。

 残念ながら糖尿病になってしまったら私自身でも明らかなように玄米でも100~200のブドウ糖スパイクを起こしてしまうので糖質制限食が必要となるのです。糖質制限食なら血糖値の上下動は正常人ではほとんどなくなり、糖尿人でもかなり小さくなります。

 また断食を行えば、速やかに脂肪エネルギーシステムが活性化され、やはり血糖値や代謝が安定します。糖尿病やメタボリック・シンドロームがない人は断食のあと主食を玄米とすれば肉を含めておかずはしっかり食べてもブドウ糖スパイクは生じないので健康を維持できます。

 2007年3月現在まで、私は糖質制限食を継続しており体重も56kgを保っています。この食事を続ける限り私は正常人であり糖尿人脱却です。

テーマ:食と健康
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで⑬
こんにちは、江部康二です。

 前回まで、私が糖尿病を発祥した経緯を書きました。
 糖尿病は、遺伝的要素や食生活、ストレスなど様々な要因が重なって発症すると言われています。その中にあって、遺伝的要素と、やはり近年異常なくらいに増えた精製炭水化物の摂取が、糖尿病発症の大きな原因になっていると私は考えています。

 アトピー治療や糖尿病治療に携わるなかで、精製炭水化物(糖質)過多の食生活を見直し、玄米魚菜食や糖質制限食など、個々の状態に合わせた食事が病気の予防や治療に必要だと痛感しました。

 そして、食事療法として最終的に私がたどり着いたのが、タイトルにもなっている『テーラーメイドダイエット』です。この自分史シリーズも、ようやく『テーラーメイドダイエット』編までやってまいりました。

 今回、次回と『糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで』の本編(?)です。

<代謝の安定する食事療法>
 玄米魚菜食時代、糖質制限食時代を経て、今私は食生活において一人ひとりの体質・病状・嗜好にあわせたテーラーメードの食事療法(tailor made diet)を提唱しています。

 たとえば小児、青少年、アトピーや喘息の若い人、成人でも糖尿病やメタボリック・シンドロームなどがないひとなら、主食を未精製の穀物(例えば玄米)にして食生活十カ条(ブログ第一回目参照)の実践ですし、すでに糖尿病を患っている人やメタボリック・シンドロ-ムの人は糖質制限食がベストの選択です。

 また、糖質制限食は糖質摂取が少ないので、常に脂肪を燃やすエネルギーシステムが活性化しており、肥満解消にもおおいに役立ちます。

 このように「テーラーメード ダイエット」の枠組のなかで考えていけば、玄米魚菜食と糖質制限食は適応対象が異なっているわけで矛盾は生じません。
テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメードダイエットに到るまで⑫
 こんにちは、江部康二です。

 締め切りに追われる作家の気持ちが分かるような気がする今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 今回から、表題を『江部康二の新徒然日記Web編』から、『江部康二の糖尿病徒然日記』に変更致しました。

 「江部康二の新徒然日記」としてアトピー・ネットワーク リボーン の機関紙に連載してますが、同じ題名ではヒネリがないのと、こちらは糖尿病の話が中心なので、『江部康二の糖尿病徒然日記』に表題を改めました。他紙の締め切りに負けずに頑張って書き続けようと思います。

 今回は、糖尿病発症編の続きです。
 
 「脳細胞が人体で一番エネルギーを消費するんやから、頭脳労働者である私は決して太れない!!」と常々豪語していた江部康二としては、穴があったら入りたい心境でした。久しぶりにあう親切な友人達は、私のふくよかになったお腹を見ながら「・・・。」

 52歳糖尿病発覚時にはとうとう体重67kgになって、血圧は160/100、腹囲は86cmと、今流行のメタボリック・シンドロームの診断基準を見事に満たしていました。

 ここに至り、一念発起して、2002年6月から糖質制限食を開始しました。高雄病院では1999年から院長江部洋一郎が低糖質を基本とした糖尿病治療食(糖質制限食)を実践し画期的な成果をあげていました。

 当初、半信半疑だった私も2001年に糖尿病の患者さんに初めて実施し劇的改善を得ていたので、うまくいく確信はありました。肉・魚・野菜・豆腐などおかずは食べ放題で主食(糖質)だけはなしです。酒は日本酒、ビールなどの糖質を含んでいる醸造酒は中止し、もっぱら焼酎(蒸留酒)としました。赤ワインだけは醸造酒の中でも血糖値を上昇させないので適宜飲んでいます。

 その結果1年間の糖質制限食で、体重は56kgにおち、血圧も120/70、HbA1Cも4.9%と改善しました。メタボリック・シンドロームも解消しました。

 純米大吟醸・恵比寿ビール時代を知る友人達からは非難囂々、ブーイング続出でしたが、糖尿病とおさらばするために背に腹は代えられません。


テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
新潟は雪国だった…
 3月17日の土曜日、新潟県歯科医師会の県都学会の公開市民講座で「人類の食生活とテーラーメードダイエット」というお話をしてきました。新潟は京都からは遠いです。東京までいって上越新幹線で新潟へ。

 越後湯沢ではしっかり雪が積もっていました。背広にネクタイにコートそして念のため長靴を履いていきました。新潟についた途端に雪が降り始めて長靴の顔が立ちました。「玄米魚菜食から糖質制限食へ」という本ブログのテーマで話しましたがなかなか新潟市民の反響は良かったです。

 懇親会ではさすが新潟、コシヒカリの話で盛り上がりました。コシヒカリはおいしいお米だけど育てにくくてその分高価なのだそうです。しかしいつの間にかこっそり育てやすい品種に変わって名前だけコシヒカリが残ったという噂もあるそうです。私は勿論、純米酒もコシヒカリもなしで、焼酎と赤ワインでした。

 3.18日曜日は全日空で伊丹空港というルートで帰りました。今は締め切りオーバー気味の「糖質制限食 夏のレシピ」の原稿を書いてます。
  
3.18,午後9:30 江部康二
テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで⑪
 歌って踊れる漢方医、高雄病院の江部康二です。

 今日は、20:00から京都嵐山にある「赤マンマ」というカフェ・レストランにて、ライブを行います。

 何を隠そうこの私、バンドのボーカルをやっておりまして、月に一度ライブをやっております。主に第三金曜がライブの日なので、お近くの方や京都に来られた折は、是非のぞいてみて下さい。

 で、自分史の続きですが、今回から、私、江部康二が糖尿病の発症した経緯と糖質制限食にたどり着くまでです。
 すでに糖尿病を発症されている方も、糖尿病予備軍の方にも参考になる内容です。

<糖尿病発症と糖質制限食>
 もともと父も母も糖尿病で、父は77歳の時糖尿病による血流傷害のため右大腿切断手術をし、その後心筋梗塞や肺炎にもなり、80歳で永眠しました。家族歴は完璧なので、私もそこそこ警戒はしていたのですが2002年の病院の健康診断(52歳時)で遂にHbA1Cが6.3%と糖尿病の域に達しており、慌てて食後2時間の血糖値を測定してみると260mg/dlもあり愕然としました。血糖値を上昇させにくい玄米で実験してみても食後血糖値は260前後で変わりませんでした。

 通常健康診断で調べる朝一番の空腹時血糖値は十数年間ずっと108mg以下で安心していました。しかし1998年には115mgで初めて糖尿病と正常の境界領域になっていたのに油断して放置していたのです。もっとも玄米は食べているし魚中心で肉は控えめで、週に1.2回テニスはしているし一般的にみれば健康的なライフスタイルのはずでしたが・・・?

 40歳過ぎから「酒をやるなら純米大吟醸、ビール飲むなら恵比寿ビール、愛読書並びに推薦書は夏子の酒・・・」てなキャッチコピーでそれまでのウィスキーやブランデーから純米酒と恵比寿ビールに切り替えて当時浴びるように飲んでいたのが今から思えば敗因でした。通常食後高血糖が数年間続いたあとに、空腹時血糖値が上昇すると言われているので、実は1990年代の初めごろからとっくに食後高血糖が存在した可能性が高かったのです。(読者の皆さんも糖尿病の早期チェックには空腹時血糖値ではなく主食摂取後2時間血糖値を調べてくださいね。)

 42~43歳ごろから毎日食事の度に食後高血糖を繰り返し、だめ押しに毎晩毎晩、雨の日も風の日も雪の日も律儀に純米酒と恵比寿ビールで飲酒後高血糖を生じていたのでしょう。このごろはテニスの帰りにスポーツジムにもよって自転車こぎや腹筋・背筋運動もやってましたが、なぜか体重は徐々に増加し腹回りも順調に育っていきました。しっかり摘めるお肉なので筋肉増強ではなく脂肪増強に間違いありません。「何故だ!!」戸惑いと憤りが湧いてくるものの誰のせいでもありませんし現実は厳しいものでした。
テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで⑩
 こんにちは、高雄病院の江部康二です。

 この書き出しも飽きてきましたね。次回からもう少しヒネリます。

 高雄病院は、漢方治療で日本有数の治療実績を誇ります(漢方生薬使用量は日本一なんです。)が、アトピー治療でも有名(?)なんですよ。

 日本全国から、年間1500~2000名の患者様が外来へ診察に来られ、約400名の患者様が入院されて治療を受けられておられます。

 アトピー治療は、私が食養生について考えるようになったきっかけで、云わば、テーラーメイドダイエットの原点です。

 今回は、そのアトピー治療についてです。

<アトピーと心理療法>
 
 絶食療法(断食)を導入した頃から、アトピーの漢方治療などがマスコミによく取り上げられるようになり徐々にアトピーの患者さんが増えていきました。

 アトピー治療と深く関わって行くにつれて、西洋医学・東洋医学・食事療法それぞれ役割があるけれど、物質的側面からの治療だけではうまくいかない患者さんがいることに気がつきました。それで心と体含めて一人の人間という視点から1988年心理療法を導入しました。

 アトピーに心理的要因が色濃く関与しているという認識が医学界に浸透してきたのは比較的最近です。私自身高雄病院に臨床心理士を招いた当初はそれほど明確には意識していませんでした。しかし入院患者さんの心理テストやカウンセリング、家族面接などの経験を積むに連れて、特に思春期.成人のアトピーには心理的要因が密接に関わっていることを確信するに至りました。

 総じて年齢が高くなるほどストレスの関与する割合が増えていきます。小児でも難治性の場合は家庭.学校の人間関係のストレスが関与することがあります。それだけに単純な薬物療法のみに頼る治療では限界が出てきます。

 アトピー治療に関わったおかげで、西洋医学、東洋医学、食生活、心理療法と幅広い立場からの臨床活動を自然に展開するようになっていったわけで患者さんに教えられ成長できたという意味で感謝しています。

 当然アトピー以外の様々な生活習慣病にも心理的要因は関わっており、高雄病院では医師・臨床心理士・看護士・栄養士などによるチーム医療を展開しています。

テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで⑨
 こんにちは、江部康二です。

 ブログでは、雑誌や新聞のように紙面に印刷された文章を読むのと違って、画面に移った文字を読むので行間が詰まるととても読みにくいですね。
 他の方が書かれたブログを見ていると、ワンセンテンスごとに改行したり、一行ごとに文章を書かれています。自分でブログを始めると、その理由が良く分かりました。

 というわけで(どんなわけでしょう)、今回は断食編の続きです。 

 断食後、少食(約1200Cal)を保っている間は、睡眠時間が目に見えて短くなり、それまで9時間(ホントです)寝ていたのが7時間で済むようになりました。毎朝6時に目が覚めるものだから時間をもてあまし、愛犬(ジュリーという名でした)を連れて小一時間山に散歩に行き、帰りはひたすら走って帰るのが日課となりました。

 一方いい事ばかりではなくて、話しには聞いていましたが、やたら食い意地がはってきて、どんな食べ物にでも思わず手をだしてしまいそうになり、女房・子供に白い目でみられてしまいました。

 久しぶりに会う親切な友人達は、私のこけた頬をみながら「おまえ、どっか身体の具合悪いんやないか?医者の不養生いうし、一遍入院して精密検査したほうがええのんちゃうか?!」その度に同じ説明を繰り返し、約一ヶ月間私は壊れたレコードのようでした。

 とまあこんな風に、断食初体験が経過したのですが、その後しばらくはほぼ毎年1回断食をしたので計12~13回したことになります。2回目からは、すまし汁断食や果汁断食.重湯断食などで、本断食は最初の一回だけです。
本断食のしんどさは結構きついものがあり本音を言えば外来終了後はややヘロヘロでした。スマシ汁断食のほうはかなり楽でテニスもしながら行いました。

 鼻炎は断食後基本的にはコントロール良好です。しかし忘年会シーズン(深酒)や中国旅行(砂糖+味の素+酒)のおりはそれなりに再発して漢方薬を服用していました。
 
 ここ10数年は断食していませんが、第一回断食後は朝食抜きの一日二食でプチ断食を継続していて後述の如く食生活には気をつけています。

テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで⑧
 こんにちは、高雄病院の江部康二です。

 誰ですか、UNKO専門の医者だなんて言ってるのは。

 誤解の無い様に言っておきますけど、当方、漢方医にして内科医であって、決してUNKO専門の医者ではないので、念のため。

 で、今回は玄米菜食の続きと断食についてです。

 さて、かくのごとき驚くべき効果に力を得て皆に吹聴してまわっていたら『先生こうなったら断食もやらなくちゃ男じゃないよ!』てな過激な意見が、あれよあれよという間に多数派を占めていってしまったんですね。

 やはり根が軽く悪のりしやすい性格が災いして「うん、断食なんて簡単よ。僕なんか日頃正しい食い物食べてるから、やろうと思うたらいつでもできるもんネ。」などと言っているうちに、しっかり断食予定表ができあがってしまい、8月11日~13日の3日間、外来などの仕事もしながら断食に突入する破目となってしまいました。

 記念すべき第1回目の断食は水だけは飲むけれど、摂取カロリーはゼロカロリーで塩分もなしという厳しい本断食でした。

<断食>
 最初の二日間は、午前中立ち眩み・脱力感がありましたが、三日目はそこそこの健康状態でした。それでも血糖値は35mg/dlと、ビックリするような数値が記録されました。普通なら意識不明で昏睡のレベルですが断食中は脳もケトン体という脂肪の代謝産物を利用するので大丈夫なのです。

 断食中悟ったことは空腹感と食欲とは別物ということでした。三日目ともなると空腹感は全くないのですが、頭の中にはいろんな食物が自然に浮かんできてふと気付くとよだれが出ていたりするのには閉口しました。テレビのコマーシャルの実に半分以上が食品の宣伝であるのもこの時認識しました。またゼロカロリーは勿論つらいものですが、塩分なしというのも脱力感やボーっとした感じにかなり影響します。

 体重は4kg減って47kg(身長は168cm)、ウエストは5cm減って60cmとなりました。私は1950年1月8日生まれなので当時34歳でした。

テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
遅くなりましたが…
たっちゃんへ
1gの糖質が、2型糖尿病の人の血糖値を3mg/dl上昇させます。
このことに留意していただけば結構です。例えば食パン2枚食べたら糖質が50g入ってますから、血糖値は150mg/dl上昇です。ビフテキを300g食べても糖質はほとんど入っていないので血糖値もほとんど上昇しません。
それから
私の糖尿病が確定したのは、2001年、思い立って主食摂取後2時間の血糖値を測定したら260mg/dlだった時です。両親糖尿なので薄々そろそろやばいかと1998年頃から思ってはいたのですが・・・

江部康二
テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで⑦
皆さん、こんにちは。高雄病院の江部康二です。

 自分史シリーズも佳境に入り(?)、今回からやっと、タイトルにある『テーラーメイドダイエット』につながる、玄米菜食の話になります。

 決してUNKOの話ではないので念のため。


<ハンガーストライキと京大生>
 N.O.君という22日間のハンガーストライキを終えた京大生は、1984年6月3日、高雄病院に入院してきました。さすがに15kg体重が減り、身長169cm、48kgと痩せさらばえてはいましたが、目には力があり自力歩行も可能でした。当方の心配などは杞憂と終わり、筆舌に尽くしがたいほど美味といわれる最初の重湯を味わって以後、順調に快復していきました。
 N.O.君いわく「なにを食べてもかつて味わったことがないほどおいしいし体の爽快さも抜群です。」

<玄米菜食>
  臨床的に壁につきあたっていたし実例を目の当たりにして、兄と院長の賛同を得てほぼ一瞬にして高雄病院への《玄米菜食》《断食》の導入が決まりました。おかげで給食を始めとして関連各部門の悲痛な叫びが約一週間続いたと風の噂に聞いています。

 患者さんに食べてもらうのなら自らもということで、積年の肉食中心の食生活を改め、甘い物も一切やめました。「何事もほどほどがよろし!」という中国三千年の教えを忠実に守って酒だけは控える程度にとどめておきました。

 10日間くらい経過して、不思議なことに中学校以来長年の付き合いであったアレルギー性鼻炎がぴったりととまってしまいました。ところが深酒が三日も続くと天罰てきめん、鼻炎が再発し、つくづく食生活の重要さを身をもって思い知らされてしまいました。

 もう一つの変化は<うんこの量>です。一ヶ月くらい玄米魚菜食を続けていると<うんこの量>が約三倍になりました。しかも朝・昼・晩と食事をするたびに便意を催して、台湾バナナ二本分くらいずつでるのですからびっくりしてしまいます。

 『何やあいつ病院にUNKOしにいっとるんか。仕事する時間なんかないやないか!』とお叱りをうけるかもわかりませんが、一回の排泄時間そのものは著明に短縮しほぼ一瞬・一気に出て、しかも糞切りがよいのですから心配御無用!
テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで⑥
こんにちは、高雄病院の江部康二です。

今回で、江部康二自分史前編終わります。


<断食・玄米菜食>
 ちょうどこんな時「学生がハンストをするので健康管理をしてくれませんか?」との電話が知人からありました。聞けば核ミサイル(トマホーク)を積んだ米国の原子力潜水艦が佐世保に寄港することになり、それに反対する京大生が22日間ほど水だけしか摂らないハンガーストライキをして抗議するというお話でした。元全共闘の医師はおろか当時は元アラブゲリラの看護婦さんまでいた高雄病院ですからこんな依頼があるのでした。

 当方西洋医かつ漢方医ではあるけれど、当世飢死にしかけたような患者を現実にみたことはないし、文献にも心当たりはないし、いかに面倒みるべきか、はたと困ってしまいました。そこでようやく思い至ったのが《ハンスト=断食》ではないかというシンプルな認識でした。あわててこれまで興味はあったけれど、あえて避けてきた断食・食養の本を買いあさり受け入れ態勢を整えました。これがわたしと《玄米菜食》《断食》とのなれそめでした。

続く

テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで⑤
 こんにちは。高雄病院の江部康二です。

 ここのところ、江部康二の自分史が続いているので、「タイトルの『糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで』と全然関係ないやんけ~。」とお叱りの声が聞こえてきそうです。
 しかし!自分史を語らずして何ゆえ糖質制限食に至ったかは語れませんので、今しばらくお付き合いのほどを。

 というわけで、今回は自分史<漢方>編です。

<漢方>
 漢方治療を実地で学ぶため、1978年(S53年)4月思い切って大学をやめて兄の勤めている高雄病院で働くことにしました。 居心地がよかったのか腐縁なのか、そのまま今に到るまでずっと居座っています。

 鼻炎のほうは、さすが漢方薬の威力は絶大で積年のくしゃみ・鼻水・鼻づまりがすっかり治ってしまいました・・・・・てなわけにはいかなかったんです。漢方薬を弁証に応じて小青竜湯、葛根湯加川辛夷、辛夷清肺湯、麦門冬湯、麻黄附子細辛湯などその都度服用していれば症状はおおむね取れているのだけど、止めるとまたぶり返し、なかなか根治するにはほど遠い状態でした。

 漢方のほうはビギナーズラックというわけでもないのですが、当初の2・3年は存外好調で、気管支喘息、アトピー性皮膚炎、ネフローゼ症候群、アレルギー性鼻炎(私以外の)、紫班病、生理痛、不妊症などなど・・・かなりうまくいく症例も多く『漢方ってすごいな!』と有頂天になったものです。
 
 ところがどっこい、5.6年が経過しある程度勉強もし経験も積んでいくのですが、患者さんも増え難病も増えていく中で臨床的に壁にぶつかって上手くいかない症例が増えていきました。もちろん漢方を極めたわけでもなく、勉強不足もあります。いろいろ悩みましたが、西洋医学と同様現行の漢方治療(湯液やエキス剤中心の薬物療法)にもおのずと限界はあるはずだと素直に考えてみたりもしてました。

テーマ:糖尿病
ジャンル:ヘルス・ダイエット
糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで④
 コカコーラの大瓶を水がわりに毎日ガブガブ飲んだり、お金が無いとインスタント・ラーメンだけで一週間過ごしたり、趣味的に朝・昼・晩と全てお湯を注ぐだけの<カップ-焼きそば・焼き飯・ラーメン >で一日過ごして気分が悪くなったり、サントリーレッドの大瓶や料理用の一升瓶のワインで反吐をはいたりで、なかなかにえぐい食生活をおくってました。当然鼻炎はもはや生活の一部といった存在になってました。

 全国的な全共闘運動の盛り上がりの中で京大でもストライキ が相次ぎ、結局医学部の6年間で授業は半分くらいしかなかったでしょうか。兄も私も全共闘運動に参加し、京大医学部の建物内に立て籠もってストライキもしました。さまざまのほろ苦い思い出と共に、正規の授業では学び得なかっただろう大切なものを得たという思いもあります。

 なお私事で恐縮ですが1972年(S47年)に学生結婚をしてます。食生活は少しはましになったような気もしますけど・・・。

<医師に>
 ともあれ1974年(S49年)大学を卒業し、医師となり京都大学胸部疾患研究所で研修を始めました。胸部疾患ですから、肺癌・肺線維症・気管支拡張症・気管支喘息・肺気腫・.肺結核・肺炎・気胸などが主な病気でした。この中には根治療法の可能なもの、対症療法が主となるもの、 基本的に治療法のないものなどさまざまの病気があります。これらのことを踏まえ、5年間の臨床経験を通じて自分なりに西洋医学の素晴らしさ・長所も納得していきましたが、一方で限界も見えてきました。

 当時<針麻酔>が話題となっていた頃であり、又日中国交回復といった時代の流れもあり世間の漢方に対する評価も徐々に高まりつつあったと想います。こういった中で、私の兄は既に数年間独学で漢方を勉強しており、その影響もうけて、私もついに漢方に首をつっこむ事となったわけです。
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糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで③
 余談ですが私はもともと偏食で特に野菜が大嫌いだったのです。食べれるのはタクアンくらいでキャベツは千切りされたものを一本、二本・・・、キュウリはスライスされたものを一枚、二枚・・・といった世界でした。母はコロッケの中にいろんな野菜をいれるなどして何とか私が食べるよう工夫してくれてました。

 偏食はかなりの筋金入りで、牛田小学校の給食を一切食べずハンガ-ストライキを続けたので、とうとう小学校側が根負けして、卒業までの3年間昼食はずっと家に食べに帰ってました。除去食??を小学校に認めさせた日本の第一号は実は私だったのではないでしょうか?

 中学生になり、1年生だったか2年生だったか、とうとうアレルギー性鼻炎が始まりました。洋風の食生活になって約3年が経過していました。今思えば洋風の中でも精製された炭水化物(パン、ケーキ、お菓子、チョコレート・・・)の過剰摂取でした。以後苦節30数年、私の人生はアレルギー性鼻炎との二人三脚でした。 中学.高校とその内に、鼻炎はあって当り前となり、毎朝大量のティッシュペーパー のお世話になってました。<(鼻)水もしたたるいい男>とは僕のためにある言葉かなどと馬鹿なことを思ってました。中学・高校は修道という儒教系の学校で、ルーツは旧広島藩の藩校だったそうです。

<京都時代>
 1968年(S43年)京大医学部に入学して左京区の高野で下宿生活を始めてからは現金なもので生きていくために、それこそあっというまに野菜でもなんでも食べることができるようになりました。
 近くにホルモン屋があったのでよく食べに行きましたが友人や兄との生存競争に打ち勝つべく鍛えられて少々生焼けの肉でも食べることができるようになりました。

 家賃が安くて下宿したのでかなり場末の店ではあったのですが、ある日兄と二人で食事に行ったとき店の親爺が機嫌が良くてサービスにレバーをくれました。ラッキーと喜んで焼き始めたら何やら細長い物体がニョキッと粘膜を突き破って出てきたのにはビックリしました。只ほど高い物はない・・・親爺がくれたレバーには寄生虫(おそらくイヌ蛔虫?)が機嫌良く住んでいたのが熱さに耐えかねて登場したのでしょう。折角もらったものを無碍に捨てるわけにもいかず二人でフリーズしてしまいました。丁度そのとき、とことこと太郎がやって来ました。冷や汗をかきながらこんがりと焼き上げて太郎(店で飼っていた犬です)に分け与えて事なきを得ました。持つべきものは(イヌの)友ですね。
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糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで②
前回からの続きです。
 
 牛乳も私が乳幼児のころの戸河内では一般的ではなくて、私は母乳が足らない時山羊の乳をわけてもらって3ヶ月くらい飲んでいたんだそうです。
 果物もすっぱいすっぱい小さなりんご、種ばかりやたら多いぶどうにすいか、そのほか柿、梨、桃、いちご、みかん、いちじく、ぐみ、あけび、などなど四季に応じて旬のものが種類は豊富にあり、おいしかったのですが、食べ過ぎるほどの量はなかったのは確かです。
 バナナなど輸入品は大変な貴重品で親戚でも病気して入院したときにお見舞いにもらったのをわけてもらい、それをさらに1/4に切って弁当に入っていたりするととても嬉しかったのを覚えています。もちろん今はやりのトロピカル・フルーツなど影も形も見あたりませんでした。
 チョコレートやお菓子、ガム、キャラメルも一応あったけど人気はお米をポップコーンのように破裂させて作るぽんがし(10円玉を数個握りしめて自分でお米を持って行って行商のおじさんにつくってもらう)、黒砂糖のお菓子のくろんぼ(紙のくじをなめると当り・はずれの文字が浮きでてきて、当りだともう一本もらえる)のほうがありました。
 当時のいなかのことだから、ケーキやアイスクリームなどをそうそう買って食べるような習慣もなくて、母の手づくりのホット・ケーキとかドーナッツが唯一の楽しみでした。

<広島市時代>
 1959年(S34年)父が広島市内の病院に勤務することになり、小学校4年生になりたての5月、一家4人で市内の牛田という町に引っ越しました。 戸河内に住んでいる頃も時々市内に連れてきてもらい、レストランでメニューの多さに眼を丸くしたものでした。神武景気(朝鮮戦争)、岩戸景気を経て高度経済成長(ベトナム戦争)など日本経済が急速な発展を遂げつつあったこともあり、江部家のライフスタイルも変わっていきました。 
 父が1964年(S39年)に開業してからは江部家の財政もそれなりに裕福になり、ほぼ毎日肉(牛肉・豚肉・鶏肉)、牛乳、卵を食べ、ケーキ・アイスクリーム・シュークリーム・エクレアなどの甘いものや嗜好品も習慣的に取るようになり、食生活も完全に洋風化しました。


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糖質制限食とテーラーメイドダイエットに至るまで①
 さて今回は、江部康二の自分史を振り返って、現在の医療観・健康観を持つに至った過程を述べてみようと思います。
 
《少年時代》
  私は1950年(S25年)1月8日(かのエルビス・プレスリ- の生まれた日です。どうりで唄がうまいわけだ!)に京都府の東和束村(奈良の近くでお茶が名産)で生まれました。生後3ヶ月で父の仕事(やはり医師です)の都合で広島県西北部の戸河内町に引っ越しました。 冬になると雪が50~60cmは積もる山奥の農業の町です。

 小学校3年生まで戸河内で暮らしたのですが、基本的には元気な子で麻疹・おたふくかぜ・水ぼうそうなどにも人並にかかり、おまけとしては兄と相撲をとっていて右の鎖骨を2回骨折したくらいのものでした。空気も水もきれいで緑に囲まれ、野山を駆けめぐって育ちました。家の裏の小さな畑では母がささやかながら野菜・いちごなどを育ててました。

 最近今まで以上に食べ物に興味を持ちはじめたので、この頃の食生活を母に聞いたりして思い起こしてみました。 主食は米(1950年代前半までは日本中が飢えていたときですが、農業のおかげで米はたくさんありました)、これに朝は味噌汁と漬物、昼は魚の干物、夜は野菜の煮込み.煮魚か焼き魚といったところが定番でした。卵焼きなどは大ご馳走で運動会とかお祭りの時が主な出番でした。

 牛肉や豚肉や鶏肉は日常的には流通してなくて、肉といえばもっぱら鯨肉が食卓にのぼりました。あのころはくじらが圧倒的に安くて豊富で、私などは<肉= 鯨肉>という公式が頭の中にできあがっていたものです。母の作るクジラカツはおいしかったですね。江部家が特に貧乏だったというわけではなく給食も鯨肉のメニュ-が多かったのですが、独特の臭みがありどう考えても美味しくはありませんでした。その鯨が歳月と共に高級品となり、貴重品となり、さらに御禁制の品となったのですから40年の歴史の重みを感じます。
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テーラーメイドダイエットと糖尿病
 今、西洋医学では一人一人の患者さんの体質に合わせて処方を工夫しようというテーラーメード(tailor made)の薬物療法が注目され始めています。漢方はもともとテーラーメードの治療法だったのですが、西洋医学においても個に対応しようとする好ましい変化と言えます。

 食生活においても私は最近テーラーメードの食事療法(tailor made diet)を提唱しています。どんな病気の人でも共通に食べてよいもの、個別の病気において避けたほうがいいもの、誰もが食べないほうがいいもの、個人の嗜好・・・などを考慮して一人一人に最適の食事療法を選んでいきます。

 もともと高雄病院では、1984年から給食に玄米菜食を導入していたり、私自身、「粗食のすすめ」の著者・幕内秀夫先生の「学校給食と子どもの健康を考える会」に協力して、給食をパンからお米にという運動を展開しています。
 その私が「主食を抜け」という本を書いたのですから、「言ってることが違うやないか」と不審に思った人もいることでしょう。

 実は2001年に自分が糖尿病と発覚してから、できれば薬を飲まずにすむようにと徹底的に糖尿病の食事療法を研究しました。その結果、すでに糖尿病を患っている人には糖質制限食がベストの選択であるとの結論に達しました。

 つまり糖尿病を発症したら、その時点ですでに体内の糖質を処理するシステムが破綻していて、糖質を食べることができないからだになっているということなのです。

 もう少し早く、40歳でこのことに気がついていていれば、糖尿病にならずにすんだのにといまさらながら残念な思いです。家族歴を紐解けば父も母も糖尿病でいつか来る道と解ってはいたのですが油断でした。

 すなわち、食生活十カ条を若いころから守っていれば、糖尿病になることもなく、少なくとも玄米や蕎麦やライ麦パンなど、GI(血糖指数)の低い主食少量ならば一生食べることができた可能性が高いからです。


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