2007年03月15日 (木)
こんにちは、高雄病院の江部康二です。
この書き出しも飽きてきましたね。次回からもう少しヒネリます。
高雄病院は、漢方治療で日本有数の治療実績を誇ります(漢方生薬使用量は日本一なんです。)が、アトピー治療でも有名(?)なんですよ。
日本全国から、年間1500~2000名の患者様が外来へ診察に来られ、約400名の患者様が入院されて治療を受けられておられます。
アトピー治療は、私が食養生について考えるようになったきっかけで、云わば、テーラーメイドダイエットの原点です。
今回は、そのアトピー治療についてです。
<アトピーと心理療法>
絶食療法(断食)を導入した頃から、アトピーの漢方治療などがマスコミによく取り上げられるようになり徐々にアトピーの患者さんが増えていきました。
アトピー治療と深く関わって行くにつれて、西洋医学・東洋医学・食事療法それぞれ役割があるけれど、物質的側面からの治療だけではうまくいかない患者さんがいることに気がつきました。それで心と体含めて一人の人間という視点から1988年心理療法を導入しました。
アトピーに心理的要因が色濃く関与しているという認識が医学界に浸透してきたのは比較的最近です。私自身高雄病院に臨床心理士を招いた当初はそれほど明確には意識していませんでした。しかし入院患者さんの心理テストやカウンセリング、家族面接などの経験を積むに連れて、特に思春期.成人のアトピーには心理的要因が密接に関わっていることを確信するに至りました。
総じて年齢が高くなるほどストレスの関与する割合が増えていきます。小児でも難治性の場合は家庭.学校の人間関係のストレスが関与することがあります。それだけに単純な薬物療法のみに頼る治療では限界が出てきます。
アトピー治療に関わったおかげで、西洋医学、東洋医学、食生活、心理療法と幅広い立場からの臨床活動を自然に展開するようになっていったわけで患者さんに教えられ成長できたという意味で感謝しています。
当然アトピー以外の様々な生活習慣病にも心理的要因は関わっており、高雄病院では医師・臨床心理士・看護士・栄養士などによるチーム医療を展開しています。
この書き出しも飽きてきましたね。次回からもう少しヒネリます。
高雄病院は、漢方治療で日本有数の治療実績を誇ります(漢方生薬使用量は日本一なんです。)が、アトピー治療でも有名(?)なんですよ。
日本全国から、年間1500~2000名の患者様が外来へ診察に来られ、約400名の患者様が入院されて治療を受けられておられます。
アトピー治療は、私が食養生について考えるようになったきっかけで、云わば、テーラーメイドダイエットの原点です。
今回は、そのアトピー治療についてです。
<アトピーと心理療法>
絶食療法(断食)を導入した頃から、アトピーの漢方治療などがマスコミによく取り上げられるようになり徐々にアトピーの患者さんが増えていきました。
アトピー治療と深く関わって行くにつれて、西洋医学・東洋医学・食事療法それぞれ役割があるけれど、物質的側面からの治療だけではうまくいかない患者さんがいることに気がつきました。それで心と体含めて一人の人間という視点から1988年心理療法を導入しました。
アトピーに心理的要因が色濃く関与しているという認識が医学界に浸透してきたのは比較的最近です。私自身高雄病院に臨床心理士を招いた当初はそれほど明確には意識していませんでした。しかし入院患者さんの心理テストやカウンセリング、家族面接などの経験を積むに連れて、特に思春期.成人のアトピーには心理的要因が密接に関わっていることを確信するに至りました。
総じて年齢が高くなるほどストレスの関与する割合が増えていきます。小児でも難治性の場合は家庭.学校の人間関係のストレスが関与することがあります。それだけに単純な薬物療法のみに頼る治療では限界が出てきます。
アトピー治療に関わったおかげで、西洋医学、東洋医学、食生活、心理療法と幅広い立場からの臨床活動を自然に展開するようになっていったわけで患者さんに教えられ成長できたという意味で感謝しています。
当然アトピー以外の様々な生活習慣病にも心理的要因は関わっており、高雄病院では医師・臨床心理士・看護士・栄養士などによるチーム医療を展開しています。
2007年03月14日 (水)
こんにちは、江部康二です。
ブログでは、雑誌や新聞のように紙面に印刷された文章を読むのと違って、画面に移った文字を読むので行間が詰まるととても読みにくいですね。
他の方が書かれたブログを見ていると、ワンセンテンスごとに改行したり、一行ごとに文章を書かれています。自分でブログを始めると、その理由が良く分かりました。
というわけで(どんなわけでしょう)、今回は断食編の続きです。
断食後、少食(約1200Cal)を保っている間は、睡眠時間が目に見えて短くなり、それまで9時間(ホントです)寝ていたのが7時間で済むようになりました。毎朝6時に目が覚めるものだから時間をもてあまし、愛犬(ジュリーという名でした)を連れて小一時間山に散歩に行き、帰りはひたすら走って帰るのが日課となりました。
一方いい事ばかりではなくて、話しには聞いていましたが、やたら食い意地がはってきて、どんな食べ物にでも思わず手をだしてしまいそうになり、女房・子供に白い目でみられてしまいました。
久しぶりに会う親切な友人達は、私のこけた頬をみながら「おまえ、どっか身体の具合悪いんやないか?医者の不養生いうし、一遍入院して精密検査したほうがええのんちゃうか?!」その度に同じ説明を繰り返し、約一ヶ月間私は壊れたレコードのようでした。
とまあこんな風に、断食初体験が経過したのですが、その後しばらくはほぼ毎年1回断食をしたので計12~13回したことになります。2回目からは、すまし汁断食や果汁断食.重湯断食などで、本断食は最初の一回だけです。
本断食のしんどさは結構きついものがあり本音を言えば外来終了後はややヘロヘロでした。スマシ汁断食のほうはかなり楽でテニスもしながら行いました。
鼻炎は断食後基本的にはコントロール良好です。しかし忘年会シーズン(深酒)や中国旅行(砂糖+味の素+酒)のおりはそれなりに再発して漢方薬を服用していました。
ここ10数年は断食していませんが、第一回断食後は朝食抜きの一日二食でプチ断食を継続していて後述の如く食生活には気をつけています。
ブログでは、雑誌や新聞のように紙面に印刷された文章を読むのと違って、画面に移った文字を読むので行間が詰まるととても読みにくいですね。
他の方が書かれたブログを見ていると、ワンセンテンスごとに改行したり、一行ごとに文章を書かれています。自分でブログを始めると、その理由が良く分かりました。
というわけで(どんなわけでしょう)、今回は断食編の続きです。
断食後、少食(約1200Cal)を保っている間は、睡眠時間が目に見えて短くなり、それまで9時間(ホントです)寝ていたのが7時間で済むようになりました。毎朝6時に目が覚めるものだから時間をもてあまし、愛犬(ジュリーという名でした)を連れて小一時間山に散歩に行き、帰りはひたすら走って帰るのが日課となりました。
一方いい事ばかりではなくて、話しには聞いていましたが、やたら食い意地がはってきて、どんな食べ物にでも思わず手をだしてしまいそうになり、女房・子供に白い目でみられてしまいました。
久しぶりに会う親切な友人達は、私のこけた頬をみながら「おまえ、どっか身体の具合悪いんやないか?医者の不養生いうし、一遍入院して精密検査したほうがええのんちゃうか?!」その度に同じ説明を繰り返し、約一ヶ月間私は壊れたレコードのようでした。
とまあこんな風に、断食初体験が経過したのですが、その後しばらくはほぼ毎年1回断食をしたので計12~13回したことになります。2回目からは、すまし汁断食や果汁断食.重湯断食などで、本断食は最初の一回だけです。
本断食のしんどさは結構きついものがあり本音を言えば外来終了後はややヘロヘロでした。スマシ汁断食のほうはかなり楽でテニスもしながら行いました。
鼻炎は断食後基本的にはコントロール良好です。しかし忘年会シーズン(深酒)や中国旅行(砂糖+味の素+酒)のおりはそれなりに再発して漢方薬を服用していました。
ここ10数年は断食していませんが、第一回断食後は朝食抜きの一日二食でプチ断食を継続していて後述の如く食生活には気をつけています。
2007年03月13日 (火)
こんにちは、高雄病院の江部康二です。
誰ですか、UNKO専門の医者だなんて言ってるのは。
誤解の無い様に言っておきますけど、当方、漢方医にして内科医であって、決してUNKO専門の医者ではないので、念のため。
で、今回は玄米菜食の続きと断食についてです。
さて、かくのごとき驚くべき効果に力を得て皆に吹聴してまわっていたら『先生こうなったら断食もやらなくちゃ男じゃないよ!』てな過激な意見が、あれよあれよという間に多数派を占めていってしまったんですね。
やはり根が軽く悪のりしやすい性格が災いして「うん、断食なんて簡単よ。僕なんか日頃正しい食い物食べてるから、やろうと思うたらいつでもできるもんネ。」などと言っているうちに、しっかり断食予定表ができあがってしまい、8月11日~13日の3日間、外来などの仕事もしながら断食に突入する破目となってしまいました。
記念すべき第1回目の断食は水だけは飲むけれど、摂取カロリーはゼロカロリーで塩分もなしという厳しい本断食でした。
<断食>
最初の二日間は、午前中立ち眩み・脱力感がありましたが、三日目はそこそこの健康状態でした。それでも血糖値は35mg/dlと、ビックリするような数値が記録されました。普通なら意識不明で昏睡のレベルですが断食中は脳もケトン体という脂肪の代謝産物を利用するので大丈夫なのです。
断食中悟ったことは空腹感と食欲とは別物ということでした。三日目ともなると空腹感は全くないのですが、頭の中にはいろんな食物が自然に浮かんできてふと気付くとよだれが出ていたりするのには閉口しました。テレビのコマーシャルの実に半分以上が食品の宣伝であるのもこの時認識しました。またゼロカロリーは勿論つらいものですが、塩分なしというのも脱力感やボーっとした感じにかなり影響します。
体重は4kg減って47kg(身長は168cm)、ウエストは5cm減って60cmとなりました。私は1950年1月8日生まれなので当時34歳でした。
誰ですか、UNKO専門の医者だなんて言ってるのは。
誤解の無い様に言っておきますけど、当方、漢方医にして内科医であって、決してUNKO専門の医者ではないので、念のため。
で、今回は玄米菜食の続きと断食についてです。
さて、かくのごとき驚くべき効果に力を得て皆に吹聴してまわっていたら『先生こうなったら断食もやらなくちゃ男じゃないよ!』てな過激な意見が、あれよあれよという間に多数派を占めていってしまったんですね。
やはり根が軽く悪のりしやすい性格が災いして「うん、断食なんて簡単よ。僕なんか日頃正しい食い物食べてるから、やろうと思うたらいつでもできるもんネ。」などと言っているうちに、しっかり断食予定表ができあがってしまい、8月11日~13日の3日間、外来などの仕事もしながら断食に突入する破目となってしまいました。
記念すべき第1回目の断食は水だけは飲むけれど、摂取カロリーはゼロカロリーで塩分もなしという厳しい本断食でした。
<断食>
最初の二日間は、午前中立ち眩み・脱力感がありましたが、三日目はそこそこの健康状態でした。それでも血糖値は35mg/dlと、ビックリするような数値が記録されました。普通なら意識不明で昏睡のレベルですが断食中は脳もケトン体という脂肪の代謝産物を利用するので大丈夫なのです。
断食中悟ったことは空腹感と食欲とは別物ということでした。三日目ともなると空腹感は全くないのですが、頭の中にはいろんな食物が自然に浮かんできてふと気付くとよだれが出ていたりするのには閉口しました。テレビのコマーシャルの実に半分以上が食品の宣伝であるのもこの時認識しました。またゼロカロリーは勿論つらいものですが、塩分なしというのも脱力感やボーっとした感じにかなり影響します。
体重は4kg減って47kg(身長は168cm)、ウエストは5cm減って60cmとなりました。私は1950年1月8日生まれなので当時34歳でした。
2007年03月12日 (月)
皆さん、こんにちは。高雄病院の江部康二です。
自分史シリーズも佳境に入り(?)、今回からやっと、タイトルにある『テーラーメイドダイエット』につながる、玄米菜食の話になります。
決してUNKOの話ではないので念のため。
<ハンガーストライキと京大生>
N.O.君という22日間のハンガーストライキを終えた京大生は、1984年6月3日、高雄病院に入院してきました。さすがに15kg体重が減り、身長169cm、48kgと痩せさらばえてはいましたが、目には力があり自力歩行も可能でした。当方の心配などは杞憂と終わり、筆舌に尽くしがたいほど美味といわれる最初の重湯を味わって以後、順調に快復していきました。
N.O.君いわく「なにを食べてもかつて味わったことがないほどおいしいし体の爽快さも抜群です。」
<玄米菜食>
臨床的に壁につきあたっていたし実例を目の当たりにして、兄と院長の賛同を得てほぼ一瞬にして高雄病院への《玄米菜食》《断食》の導入が決まりました。おかげで給食を始めとして関連各部門の悲痛な叫びが約一週間続いたと風の噂に聞いています。
患者さんに食べてもらうのなら自らもということで、積年の肉食中心の食生活を改め、甘い物も一切やめました。「何事もほどほどがよろし!」という中国三千年の教えを忠実に守って酒だけは控える程度にとどめておきました。
10日間くらい経過して、不思議なことに中学校以来長年の付き合いであったアレルギー性鼻炎がぴったりととまってしまいました。ところが深酒が三日も続くと天罰てきめん、鼻炎が再発し、つくづく食生活の重要さを身をもって思い知らされてしまいました。
もう一つの変化は<うんこの量>です。一ヶ月くらい玄米魚菜食を続けていると<うんこの量>が約三倍になりました。しかも朝・昼・晩と食事をするたびに便意を催して、台湾バナナ二本分くらいずつでるのですからびっくりしてしまいます。
『何やあいつ病院にUNKOしにいっとるんか。仕事する時間なんかないやないか!』とお叱りをうけるかもわかりませんが、一回の排泄時間そのものは著明に短縮しほぼ一瞬・一気に出て、しかも糞切りがよいのですから心配御無用!
自分史シリーズも佳境に入り(?)、今回からやっと、タイトルにある『テーラーメイドダイエット』につながる、玄米菜食の話になります。
決してUNKOの話ではないので念のため。
<ハンガーストライキと京大生>
N.O.君という22日間のハンガーストライキを終えた京大生は、1984年6月3日、高雄病院に入院してきました。さすがに15kg体重が減り、身長169cm、48kgと痩せさらばえてはいましたが、目には力があり自力歩行も可能でした。当方の心配などは杞憂と終わり、筆舌に尽くしがたいほど美味といわれる最初の重湯を味わって以後、順調に快復していきました。
N.O.君いわく「なにを食べてもかつて味わったことがないほどおいしいし体の爽快さも抜群です。」
<玄米菜食>
臨床的に壁につきあたっていたし実例を目の当たりにして、兄と院長の賛同を得てほぼ一瞬にして高雄病院への《玄米菜食》《断食》の導入が決まりました。おかげで給食を始めとして関連各部門の悲痛な叫びが約一週間続いたと風の噂に聞いています。
患者さんに食べてもらうのなら自らもということで、積年の肉食中心の食生活を改め、甘い物も一切やめました。「何事もほどほどがよろし!」という中国三千年の教えを忠実に守って酒だけは控える程度にとどめておきました。
10日間くらい経過して、不思議なことに中学校以来長年の付き合いであったアレルギー性鼻炎がぴったりととまってしまいました。ところが深酒が三日も続くと天罰てきめん、鼻炎が再発し、つくづく食生活の重要さを身をもって思い知らされてしまいました。
もう一つの変化は<うんこの量>です。一ヶ月くらい玄米魚菜食を続けていると<うんこの量>が約三倍になりました。しかも朝・昼・晩と食事をするたびに便意を催して、台湾バナナ二本分くらいずつでるのですからびっくりしてしまいます。
『何やあいつ病院にUNKOしにいっとるんか。仕事する時間なんかないやないか!』とお叱りをうけるかもわかりませんが、一回の排泄時間そのものは著明に短縮しほぼ一瞬・一気に出て、しかも糞切りがよいのですから心配御無用!
2007年03月09日 (金)
こんにちは、高雄病院の江部康二です。
今回で、江部康二自分史前編終わります。
<断食・玄米菜食>
ちょうどこんな時「学生がハンストをするので健康管理をしてくれませんか?」との電話が知人からありました。聞けば核ミサイル(トマホーク)を積んだ米国の原子力潜水艦が佐世保に寄港することになり、それに反対する京大生が22日間ほど水だけしか摂らないハンガーストライキをして抗議するというお話でした。元全共闘の医師はおろか当時は元アラブゲリラの看護婦さんまでいた高雄病院ですからこんな依頼があるのでした。
当方西洋医かつ漢方医ではあるけれど、当世飢死にしかけたような患者を現実にみたことはないし、文献にも心当たりはないし、いかに面倒みるべきか、はたと困ってしまいました。そこでようやく思い至ったのが《ハンスト=断食》ではないかというシンプルな認識でした。あわててこれまで興味はあったけれど、あえて避けてきた断食・食養の本を買いあさり受け入れ態勢を整えました。これがわたしと《玄米菜食》《断食》とのなれそめでした。
続く
今回で、江部康二自分史前編終わります。
<断食・玄米菜食>
ちょうどこんな時「学生がハンストをするので健康管理をしてくれませんか?」との電話が知人からありました。聞けば核ミサイル(トマホーク)を積んだ米国の原子力潜水艦が佐世保に寄港することになり、それに反対する京大生が22日間ほど水だけしか摂らないハンガーストライキをして抗議するというお話でした。元全共闘の医師はおろか当時は元アラブゲリラの看護婦さんまでいた高雄病院ですからこんな依頼があるのでした。
当方西洋医かつ漢方医ではあるけれど、当世飢死にしかけたような患者を現実にみたことはないし、文献にも心当たりはないし、いかに面倒みるべきか、はたと困ってしまいました。そこでようやく思い至ったのが《ハンスト=断食》ではないかというシンプルな認識でした。あわててこれまで興味はあったけれど、あえて避けてきた断食・食養の本を買いあさり受け入れ態勢を整えました。これがわたしと《玄米菜食》《断食》とのなれそめでした。
続く