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高雄病院と<ハンガーストライキ・断食・玄米魚菜食>2
「ハンガーストライキ京大生支援グループ」には、医師は私1人でしたが、
看護師さんが複数おられたので、毎日、
バイタルサイン( 血圧・脈拍数・呼吸数・体温など)を測定して貰いました。

<ハンガーストライキの京大生>1984/5/12~6/2(22日間)
毎日血圧、脈拍、体温、尿などの情報を貰い、時々往診していたのですが、
5月12日から開始してハンガーストライキ22日目に、
いよいよ体力の限界ということで、私がドクターストップをかけました。
京都の四条河原町の高島屋の前にテントをはって泊まり込んでいた、
N.O.君というその京大生は22日間のハンストを終えて
1984年6月3日、高雄病院に担架で運ばれて入院してきました。
さすがに15kg体重が減り、169cm、48kgと痩せさらばえてはいましたが、
目には力があり自力で立ち上がることも可能でした。
当方の心配などは杞憂と終わり、
筆舌に尽くしがたいほど美味といわれる最初のおもゆを味わって以後、
翌日には自力でゆっくり歩行できて、以後順調に快復していきました。
N.O.君いわく
『なにを食べてもかつて味わったことがないほどおいしいし体の爽快さも抜群です。』

<玄米魚菜食の導入>
1974年に京大医学部を卒業し京大胸部研(現京大呼吸器内科)で西洋医学を学び、
1978年から高雄病院で東洋医学も学びましたが、
当時臨床的に壁に当たっていたこともあり、
興味深い実例を目の当たりにして、
兄と院長(当時)の賛同を得てほぼ一瞬にして
高雄病院への《玄米魚菜食》《断食》の導入が決まりました。

おかげで給食(栄養科)を始めとして
関連各部門の悲痛な叫びが約一週間続いたと風の噂に聞いています。
厳格な『玄米菜食』だと、ビタミンB12やEPA・DHAが不足する恐れがあるので、
魚介類と鶏肉はOKとしましたが、
1984年当時、病院で玄米というのは、日本中でほとんどなかったと思います。

<自分自身も玄米魚菜食に>
 
患者さんに食べさせるのなら自らもということで、
積年の肉や脂の多い食生活を改め、甘い物も一切やめました。
白米も玄米にし、玄米魚菜食的食生活に切り替えました。
『何事もほどほどがよろし!』という中国三千年の教えを忠実に守って
酒だけは控える程度にとどめておきました。
10日間くらい経過して、不思議なことに
中学校以来長年の付き合いであったアレルギー性鼻炎がぴったりととまってしまいました。
ところが深酒が三日も続くと天罰てきめん、鼻炎が再発し、
つくずく食生活の重要さを身をもって思い知らされてしまいました。
もう一つの変化は<うんこの量>です。
一ヶ月くらい玄米魚菜食を続けていると<うんこの量>が約三倍になりました。
しかも朝・昼・晩と食事をするたびに便意を催して、
台湾バナナ二本分くらいずつでるのですからびっくりしてしまいます。
『何やあいつ病院にUNKOしにいっとるんか。仕事する時間なんかないやないか!』
とお叱りをうけるかもわかりませんが、
一回の排泄時間そのものは著明に短縮しほぼ一瞬・一気に出て、
しかも糞切りがよいのですから心配御無用!

<断食への序章>
さて、かくのごとき驚くべき効果に力を得て皆に吹聴してまわっていたら
『先生こうなったら断食もやらなくちゃ男じゃないよ!』
てな過激な意見が、あれよあれよという間に多数派を占めていき、
やはり根が軽く悪のりしやすい性格が災いして
『うん、断食なんて簡単よ。僕なんか日頃正しい食い物食べてるから、やろうと思うたらいつでもできるもんネ。』
などと言っているうちに、
しっかり断食予定表ができあがってしまい、
8月11日~13日の3日間、
外来などの仕事もしながら断食に突入する破目となってしまいました。

続く

朝日カルチャーセンター中之島教室・糖質制限食講座のご案内です。
こんばんは。
朝日カルチャーセンター中之島教室にて
糖質制限食講座開催です。


老後の備え、認知症予防に糖質制限食
https://www.asahiculture.jp/course/nakanoshima/9d2aab8c-4a2f-a977-7b1e-5d048b51ecb0

2019/12/17(火)15:30~17:00
朝日カルチャーセンター 朝日JTB・交流文化塾 
中之島教室
TEL:06-6222-5222



『糖尿病コントロール不良』『白米を多く摂取』などで認知症リスクが高まります。
最新の内容も含めて、わかりやすくて楽しいお話しを目指します。

講師は江部康二です。
年間約30回講演をしていますが、
結構、新しい話題も多いので、スライドも毎回更新しています。
今回もわかりやすくお話しますので、乞うご期待です。
講演が75分間で質疑応答が15分間です。
大阪・兵庫・京都・滋賀や近畿圏の糖尿人やメタボ人の方々やそのご家族など、
奮ってご参加いただけば幸いです。

お陰様で、糖質制限食は順調に普及してきています。
2005年に私が「主食を抜けば糖尿病は良くなる!」(東洋経済新報社)
を日本初の糖質制限食の本として刊行したころとは、大きな違いがあります。

なんと言っても、2013年10月に米国糖尿病学会が5年ぶりに改訂した
「栄養療法に関する声明」のなかで、
地中海食やベジタリアン食などどともに「糖質制限食」を正式に容認したことが、
大きな追い風となりました。

2016年7月のNHKクローズアップ現代の試算によれば、
糖質制限市場は、3184億円とのことです。
医学界より、企業のほうが糖質制限食をビジネスチャンスと捉えて
行動が迅速なようです。
くら寿司やガストやリンガーハットなども糖質制限メニューを投入で、
なかなかの発展状況です。

2017年8月には、
「炭水化物の摂取増加で死亡リスク上昇」
という結論のランセット(Lancet)論文が発表され、
糖質制限食にとって大きな追い風となりました。
Lancet誌オンライン版2017年8月29日号掲載
https://doi.org/10.1016/S0140-6736(17)32252-3



さらに、2019年4月、米国糖尿病学会は「コンセンサス・レポート」において
『糖質制限食が最もエビデンスが豊富である』と報告しました。


糖質制限食の発展、まさに、今昔の感ありですね。


江部康二




☆☆☆
以下は朝日カルチャーセンター中之島教室のサイトから一部抜粋です。

老後の備え、認知症予防に糖質制限食

講師 江部康二高雄病院理事長

内容
糖質制限食は、1999年から京都・高雄病院において糖尿病治療食として開始され、合併症を予防できる唯一の食事療法として画期的な成果をあげてきました。近年多くの研究論文により糖尿病・肥満・生活習慣病などに対する糖質制限食の治療効果が証明されています。米国糖尿病学会は2019年4月のガイドラインで、血糖値改善効果に関して糖質制限食が最もエビデンスが豊富であると明言しました。『糖尿病コントロール不良』『白米を多く摂取』などで認知症リスクが高まります。老後の備え、認知症予防には、糖質制限食実践あるのみです。

日程 2019/12/17
曜日・時間 火曜 15:30~17:00
受講料(税込) 会員 3,080円 一般 3,630円

講師紹介 江部 康二 (エベ コウジ)
<プロフィール>
・1950年生まれ。
・1974年京都大学医学部卒業。
・1974年から京都大学胸部疾患研究所第一内科(現在京大呼吸器内科)
にて呼吸器科を学ぶ。
・1978年から高雄病院に医局長として勤務。1996年副院長就任。
・1999年高雄病院に糖質制限食導入。
・2000年理事長就任。
・2001年から糖質制限食に本格的に取り組む。
・ 2002年に自ら糖尿病であると気づいて以来、さらに糖尿病治療の研究に力を 注ぎ、「糖質制限食」の体系を確立。これにより自身の糖尿病を克服。
内科医/漢方医/一般財団法人高雄病院理事長/一般社団法人日本糖質制限医療推進協会理事長。

<著書>
『主食を抜けば糖尿病は良くなる!』2005年(東洋経済新報社)
『主食を抜けば糖尿病は良くなる!実践編』2008年(東洋経済新報社)
『我ら糖尿人、元気なのにはわけがある』2009年(東洋経済新報社・作家宮本輝氏との対談本)
『糖尿病がどんどんよくなる糖質制限食』2010年(ナツメ社)
『主食をやめると健康になる』2011年(ダイヤモンド社)
『食品別糖質量ハンドブック』2012年(洋泉社)監修
『糖質オフ!健康法』2012年(PHP文庫)
『糖尿病治療のための!糖質制限食パーフェクトガイド』2013年(東洋経済新報社)
『主食を抜けば糖尿病は良くなる!新版』2014年(東洋経済新報社)
『主食を抜けば糖尿病は良くなる!2 実践編 新版』2014年(東洋経済新報社)
『炭水化物の食べすぎで早死にしてはいけません』2014年(東洋経済新報社)
『なぜ糖質制限をすると糖尿病が良くなるのか』2015年(ナツメ社)
『糖質制限の教科書』2015年(洋泉社)監修
『よくわかる! すぐできる! 「 糖質オフ! 」健康法 』2016年(PHP研究所)
『人類最強の「糖質制限」論~ケトン体を味方に して痩せる、健康になる』2016年(SB新書)
『江部康二の糖質制限革命』2017年(東洋経済新報社)
『男・50代からの糖質制限』2018年(東洋経済新報社)
『内臓脂肪がストン!とおちる食事術』2019年(ダイヤモンド社)    
『糖質制限の大百科』2019年(洋泉社)
など多数。
ブログ『ドクター江部の糖尿病徒然日記( http://koujiebe.blog95.fc2.com/ )は日に数千件のアクセスがあり、糖尿病のかたやそのご家族から寄せられた質問への回答や、糖尿病・糖質制限食に関する 情報の発信に、日々尽力している。


高雄病院と<ハンガーストライキ・断食・玄米魚菜食>1
こんばんは。

いまでこそ、「糖質制限食」のパイオニアとして有名な高雄病院ですが、
もともとは、「玄米魚菜食」を推奨していました。
こちらは1984年からですので病院給食として玄米を提供したのは、
高雄病院が日本初だったと思います。
当時はアトピー性皮膚炎の入院患者さんが大勢いて、
漢方治療と共に、玄米魚菜食や断食療法(絶食療法)を導入して、
治療効果をあげていたのです。
ちなみにやはり日本で初めて病院給食で「糖質制限食」を導入したのが
1999年ですから、玄米魚菜食のほうがはるかに早いですね。

 今は、アトピー性皮膚炎の入院患者さんには、
「玄米魚菜食」とするか「糖質制限食」とするかを、選択してもらっています。
 糖尿病患者さんやメタボ患者さんには、勿論「糖質制限食」あるのみです。

 さて、私が食生活について、
本格的に興味を持ったきっかけは1984年5月にかかってきた一本の電話からでした。
全共闘最後の世代である私に、京大医学部時代の友人から
「京大の学生が高島屋の前で泊まり込みでハンガーストライキをするので
健康管理をしてくれないか?」

との電話が高雄病院にあったのです。

聞けば核ミサイル(トマホーク)を積んだ米国の原子力潜水艦が
佐世保に寄港することになり、それに反対の京大生が、
水だけしか摂らないハンガーストライキをして抗議するというお話でした。
そもそも日本には非核三原則(ひかくさんげんそく)があり、
核ミサイルなどとんでもないお話なのです。

 非核三原則とは、
「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という三つの原則からなる、
日本の国是であり、1967年の衆議院予算委員会において、
佐藤栄作内閣総理大臣が示しました。

 元全共闘の医師はいるし、
当時は元アラブゲリラの看護師さんまでいた高雄病院ですから
こんな依頼があったのですが、1984年、私が34才のときでした。

 当方西洋医かつ漢方医ではあるけれど、
当世、飢死にしかけたような患者を現実にみたことはないし、
医学文献にも心当たりはないし、いかに面倒みるべきか、はたと困ってしまいました。
そこでようやく思い至ったのが《ハンスト=断食》ではないかという
シンプルな認識でした。
日本では昔から断食を行う施設があり、
1930年には「断食研究」という国立栄養研究所の高比良英雄博士の大著が
刊行されています。

あわててこれまで興味はあったけれど、
あえて避けてきた断食・食養の本を買いあさり受け入れ態勢を整えました。
これが私と《玄米魚菜食》《断食》とのなれそめでした。
このことが、きっかけとなり、以後<食生活と健康>について
興味をもつようになりました。



江部康二
私が中年太りに至ったプロセスと、解決したプロセス。糖質制限食。  
こんにちは。

多くの人が経験する中年太り、私もモロに経験しました。
今回は、私が米摂取で中年太りに至ったプロセスと、
糖質制限食で解決したプロセスのお話しです。

私の飲酒歴は学生時代からで、タバコは一切なしです。

京大医学部入学が、1968年です。

学生時代はお金がないですから、札幌ジャイアンツ(当時の巨大な瓶ビール)や一升瓶の料理用ワイン、安物の日本酒の三倍醸造酒の一升瓶などが中心でした。

学生時代は、身長167cm、55~56kgくらいで、いくら食べても飲んでも決して太りませんでした。

三倍醸造酒で二日酔いになると最悪で、三日酔いくらいになるので、日本酒は大嫌いになりました。( ̄_ ̄|||)

それで1974年、社会人になってからは、ブランデーやウィスキーをもっぱら飲んでいました。

その頃の私は、結構な大食いのほうで、割り勘負けはまずありませんでしたが、炭水化物も含めていくら食べても飲んでも決して太りませんでした。

医学生時代は野球部で6年間練習や試合をしていたので、その分の筋肉の貯金があって、社会人になってからもしばらくは基礎代謝が盛んだったのでしょう。

とある時、尾瀬あきら作の漫画「夏子の酒」を読んで感動し、40歳過ぎからからは、純米酒に目覚めました。
三倍醸造酒は最悪ですが、純米酒は最高に美味しかったです。(⌒o⌒)v

「酒をやるなら純米大吟醸、ビール飲むなら恵比寿ビール、愛読書並びに推薦書は夏子の酒・・・」

てなキャッチコピーで、それまでのウィスキーやブランデーから純米酒と恵比寿ビールに切り替えて、当時浴びるように飲んでいました。

主食は、病院では玄米で、家では胚芽米でした。当時は「粗食のすすめ」で有名な幕内秀夫先生の推進する
「学校給食と子供の健康を考える会」にも関係していて「学校給食を完全米飯に」という運動をしていたこともあり、外食、講演や旅行などの食事や、新幹線の駅弁では、おかずよりは兎に角米飯をしっかり食べるようにしていました。忙しい時は、おにぎりだけでお腹いっぱいとかも多かったです。

肉や脂の食材は、できるだけ控えて魚介中心にして、調理油は極力使わずカロリー制限も一定していました。運動は、30才から始めた週2回のテニスです。

運動量は、社会人に成り立ての頃より、テニスの分は少し多いくらいで、食事は肉・油脂を控えてカロリー制限でそれなりに気をつけていたのですが、40才過ぎから徐々にお腹が出てきて、体重も増え始めました。年齢とともに筋肉量が減少して、基礎代謝が低下してきたのでしょう。

『食事で蓄えられた中性脂肪』と『空腹時や睡眠時に消費される中性脂肪』のバランスが崩れ始めた時期だったと思います。

兎に角、米飯を中心に炭水化物の摂取は多かったです。毎日食事の度に、大量のインスリン追加分泌を繰り返し、だめ押しに毎晩毎晩、雨の日も風の日も雪の日も晴れの日も曇りの日も、律儀に純米酒と恵比寿ビールで飲酒後もインスリン追加分泌を生じていたのでしょう。

当時は、テニスの帰りにスポーツジムにもよって、自転車こぎや腹筋・背筋運動もやってました。

30代よりは運動量も増やして食事にも気を使っていたのに、なぜか体重はさらに増加し、腹回りも順調に育っていきました。

所詮この程度の運動では、日々の大量の炭水化物摂取に拮抗できるはずもなく、インスリン過剰分泌でますます肥満していったのだ思います。

肥満すればインスリン抵抗性が増して効きが悪くなるので、益々過剰のインスリンを分泌せざるを得ません。肥満ホルモンであるインスリン分泌の悪循環ですね。

52歳、糖尿病発覚時には、とうとう体重67kgになって、学生時代より約10kg増えてしまいました。

血圧は160/100、腹囲は86cmと、メタボリック・シンドロームの診断基準を見事に満たしていました。

ここに至り、一念発起して、2002年6月から糖質制限食を開始しました。肉・魚・野菜・豆腐などおかずは食べ放題で、主食(糖質)だけはなしです。

酒は日本酒、ビールなどの糖質を含んでいる醸造酒は中止し、もっぱら焼酎(蒸留酒)としました。

辛口赤ワインだけは、醸造酒の中でも血糖値をほとんど上昇させないので、適宜飲んでいました。

純米大吟醸・恵比寿ビール時代を知る友人達からは、非難囂々、ブーイング続出でしたが、糖尿病・メタボとおさらばするために、背に腹は代えられません。

この間、スポーツジムはやめてしまい、テニスも2回/週から、1回/週に減ったので、運動量は40代に比し確実に減りました。

また、肉や炒め物や揚げ物など脂質をたっぷり摂取したので、40代の油脂は極力控えていた時代に比し、総摂取カロリーは増えていたと思います。お酒の量は、全く不変でした。

運動量は減って、総摂取エネルギーは増加したにも関わらず、6ヶ月間の糖質制限食で、体重は約10kg減って57kgにおち、血圧も120/70、HbA1Cも4.9%(当時JDS⇒NGSP換算なら5.3%)と改善しました。メタボリック・シンドロームも解消しました。

このように、私の肥満(中年太り)には総摂取エネルギーよりも総糖質摂取量のほうが、色濃く関係していたことは間違いありません。

『糖質摂取で血糖値上昇→インスリン追加分泌→脂肪細胞表面にGLUT4発現→血糖を取り込んで中性脂肪に合成して脂肪細胞内に蓄積』

『糖質摂取で血糖値上昇→肝臓が取り込んで中性脂肪合成→中性脂肪はVLDLとして血中に放出→余剰の中性脂肪は脂肪細胞に取り込まれて蓄積』

という悪循環が、糖質制限食で断ち切れたのだと思います。

その後は、2019年現在に至るまで、身長、体重は167cm、56~57kgとほぼ一定で、血圧も120~130/70~80ていど、HbA1cは5.6~5.8%(NGSP)ていどです。

今は、主食(糖質)を食べなければ正常人、主食(糖質)を食べれば糖尿人です。
美味しく楽しく末長く糖質制限食で、HbA1cは、今ぐらいで維持したいと思っています。 (^^)


江部康二
私が糖尿病発症に到った過程 。米、恵比寿ビール、純米大吟醸。
こんにちは。

会社の健康診断では、糖尿病に対しては
<早朝空腹時血糖値とHbA1c>
が一般的です。

しかし、食後高血糖が数年間続いたあとに、
空腹時血糖値が上昇するという流れがほとんどですので、
<早朝空腹時血糖値とHbA1c>だけでは、
食後高血糖を見逃す可能性が極めて高いのです。

今回は、私、江部康二が糖尿病を発症した経緯と糖質制限食にたどり着くまでです。
すでに糖尿病を発症されている方も、糖尿病予備軍の方にも参考になる内容と思います。

<糖尿病発症と糖質制限食>

 もともと父も母も糖尿病で、
父は77歳の時糖尿病による血流傷害のため右大腿切断手術をし、
その後心筋梗塞や肺炎にもなり、80歳で永眠しました。
家族歴は完璧なので、私もそこそこ警戒はしていたのですが、
2002年の病院の健康診断(52歳時)で遂にHbA1Cが6.7%と糖尿病の域に達していました。ヾ(゜▽゜)
翌日慌てて、給食(胚芽米)を食べて、
1時間後の血糖値を測定してみると250mg/dlもあり愕然としました。

さらに次の日は血糖値を上昇させにくい玄米で実験してみても
食後1時間血糖値は228mg/dlもあり、
軽く200アップで、ほとんど変わりませんでした。
ついでといっては何ですがメタボ、高血圧も発症していました。

 通常健康診断で調べる朝一番の空腹時血糖値は
十数年間ずっと108mg以下で安心していました。
しかし1998年には115mgで
初めて糖尿病と正常の境界領域になっていたのに油断して放置していたのです。

 もっとも34歳から、
基本玄米が主食で、魚中心で肉や脂は控えめで野菜はたっぷり摂り、
週に2回はテニスをし、週1回スポーツジムにも通っているし、
普通の中年サラリーマン諸氏よりは、
はるかに健康的なライフスタイルのはずでしたが・・・?

2000年に
「完全米飯給食が日本を救う」(東洋経済新報社)という本を
井上ひさしさんや、幕内秀夫さんと共著で刊行していたこともあり、
 旅先では玄米は無理なので、とにかく、
おにぎりとかご飯をしっかり食べるように心がけていました。
パン(小麦)を食べることはまずなくて、
努力して、米(玄米、白米)をタップリ食べていました。

 さらに40歳過ぎから
「酒をやるなら純米大吟醸、ビール飲むなら恵比寿ビール、愛読書並びに推薦書は夏子の酒・・・」
てなキャッチコピーでそれまでのウィスキーやブランデーから
純米酒と恵比寿ビールに切り替えて
当時浴びるように飲んでいたのが敗因の一つでした。

結局、私の場合、大量の<ご飯(玄米、白米)+恵比寿ビール+純米大吟醸>
三位一体となって、糖尿病発症コースにまっしぐらに突っ走ったのだと思います。

今なら、血糖値を直接上昇させるのが糖質だけ、
醸造酒は血糖値を上昇させ、
蒸留酒は上げないという知識があるのですが・・・。 ( ̄_ ̄|||)

通常食後高血糖が数年間続いたあとに、
空腹時血糖値が上昇すると言われているので、
実は1990年代の初めごろからとっくに
食後高血糖が存在した可能性が高かったのです。

読者の皆さんも糖尿病の早期チェックには
空腹時血糖値ではなく主食摂取後1時間血糖値を調べてくださいね。
これが180mg/dlを超えていると将来糖尿病になりやすいのです。


江部康二